満足する人は健康である

 

満足していると良いと感じるだけではなく、本当に身体によいと言われている。ポジティブな生活観を持ったひとは、四年から十年健康に長く生きられるという。ディーナーは国民が満足することを国の政策にするように提唱している。長く不満足な状態にいることは、健康に対してリスクファクターである。満足するということは、煙草を止める、酒を控える、適度な運動をするのと同じくらい、健康で長生きすることに繋がっている。満足することは、肉体の健康の中でも、特に心臓に良い影響を及ぼす。ストレスや緊張が続くと、心臓の機能自体には問題がなくても、心臓発作と同じような症状を起こすことが知られている。職場や家庭で問題を抱え、ストレスや不満足を感じている人は、二、七倍心臓発作を起こしやすい。その割合は、喫煙や高血圧と同じくらいに高い。逆に楽観的な人は、心臓疾患に罹りにくい。それは、ストレスホルモンが、抵抗力、神経系に影響を与えるからである。ストレスホルモンは、抵抗力を司る細胞を非活性化し、ストレスを感じると血が固まりやすくなり、心臓に負担を掛ける。満足、ポジティブな感情、幸福、喜びのエネルギーは、致死的なリスクを下げる。フィンランドでの双生児を使った調査によると、不満足を感じる人の方が、早く死んだという結果が得られた。そのことは世界の別の場所でも証明された。満足する人は、肉体的に見ても、よりフィットであると言える。

しかし、千三百万人の人を対象に十年間調査をした英国の学者は、幸福、感情、満足は寿命に影響という結論を導き出した。「コウノトリが赤ん坊を運んでくる」という言い伝えから、ドイツのニーダーザクセン地方の、コウノトリの生息数と新生児の数を調査した人がいる。事実、一九七〇年から八五年にかけて、コウノトリの数も新生児の数も減り、その後は両方ともプラスに転じた。そのことで、コウノトリと出生率に関係があると言えるのだろうか。偶然が重なっただけの「見かけの関連性」ということもある。数週間前に例えば何を食べたのかの尋ねられた人は、マイナスのイメージになる不健康な食品については答えないかも知れない。また過去を思い返し、その間にあったことを過小、あるいは過大に評価してしまうこともある。満足している楽観的な人間は、自分の健康に対する質問にも楽観的に答えるという傾向があるかも知れない。ともかく、良い調査、分析は、結果を見る前に、被験者の一定期間観察することが大切である。健康だから満足でより健康になるという「天使の輪」の中にいる人もいるし、不健康だから不満足でより不健康になるという「悪魔の輪」に陥っている人もいる。米国のアラメダ地方での調査では、やはり、満足はすぐ死ぬという確率を下げていると結論付けられている。

長生きする要素として、パートナー、友人がいるということが証明されている。そして、満足は、社会的なネットワークと関係があることも分かってきている。逆に社会的な関係の欠如は、健康にも悪影響を及ぼしている。「社会性」は、喫煙、高血圧、肥満と同じくらいの、健康に対するファクターとなっている。孤独でいることで、命がどれだけ縮むかという調査がなされた。社会性のある人間は、孤独な人より、七年半長生きできるという結果が出ている。その際、誰かと一緒に住んでいなくても、誰かと結びついていることが大切である。

精神的な理由による欠勤は増え続けている。WHOは職場でのストレスが、他の疾患と同じように脅威となっていると警告している。仕事は満足をもたらす要素も持っている。また、例外なく失業すると、満足度は低下する。これまで言われていたように「職業」と「私生活」は明確に一線を劃せるものではない。

満足している人間は、不満足な人よりも、「ノー」と言えて、不必要な物を切る能力がある。満足をしているがゆえに、自分のことは自分で考え、その結果「ノー」を言える。また、満足を得るためには「課題を持つ」ということが大切である。特に高齢になるにつれ、人生の意義を感じる、意義のある活動をしている人は、健康を保つことができる。定年退職した九千人に対して調査が実施された。八年半後に千五百人の人が死亡していることが確認されたが、「自分は何をしたか」という問いに対して明確に答えられる人の死亡率は低かった。

不思議なことに、不満足な人は、事故で死亡する確率は、満足している人より二倍も高い。最初にこれに気付いた研究者は、自分でも信じられなかった。別の二十代の人間を対象とした調査では、不満足な人が満足している人よりも事故に遭う確率は、女性で七倍か八倍、男性で四倍高いことが分かった。その理由として、研究者は、不満足な人は健康や安全をそれほど気遣っていないからではないかと考えている。満足している人間は安全や健康に気遣っているので、事故に遭いにくいということになる。健康な人だけではなく、病気の人でも同じことが言える。心臓のバイパス手術をした後、楽観的な人ほど、早く治り、生存率も高い。しかし、病気が深刻になるほど、満足度が病気に与える影響が少なくなってくる。逆に言うと、深刻な病気のない限り、満足している人は長生きできる。その傾向は、年齢が進むにつれ、顕著になってくる。双生児を使った研究によると、「これまでの四週間満足でしたか」、「これまでの人生で満足でしたか」と聞いた後、二年後に健康について調査した。その結果、今満足しているが将来に対しても健康に影響を与えることが分かった。また、満足しようと決意するだけでも効果のあることが分かった。

 

ケーススタディー、カトリン・ベッカーの場合

 

カトリン・ベッカー(四十九歳)は子供の頃からリューマチを患い、身体の関節を動かすことが不自由であり、動かすと激しい痛みを感じる。彼女は六歳でリューマチと診断され、間もなく身体を動かすのが困難になり、これまでに二十六回の手術を受けてきた。彼女の関節は殆どがチタンを使った人口のものに取り替えられている。度重なる手術はこれまで大学や職業訓練を遅らせ、それが原因で、彼女は学位を取ることを断念した。カトリンはそれでも、自分が家族や友人に囲まれて過ごすことが出来て、恵まれていると感じている。彼女は同じリューマチを患っている男性と結婚しているが、子供はいない。しかし、子供好きの彼女は、名づけ子を自分の子供のように感じているし、隣人と猫を共同で世話をしている。彼女からは冷静で、落ち着いた印象を受ける。彼女は自分が子供の頃に病気になり、全てをアクセプトする癖がついているからだと考える。彼女はまた、他のリューマチ患者が、どれほど精神的な負担を感じているかを知っている。それは、病気そのものをアクセプトすることができないことが原因であることも。

彼女は、自分の冷静さは、家族の援助によるものが多いという。彼女の家族は、できるだけ自然に彼女と付き合ってきた。しかし、これまで治療が身体に合わなくて、苦しい思いをしたことがあるし、医者の無神経なコメントに傷ついたこともあった。彼女は、途中から医者に期待せず、自分がリューマチの専門家になるべく知識を吸収した。そして自ら「リューマチ患者の会」を組織して、知識の普及に努めた。二〇〇〇年ごろに、新しい薬が開発され、痛みからはかなり解放されるようになった。しかし、リューマチが進行するだけの病気であることには変わりはない。若い頃、彼女は「自分で髪が梳けなくなったら」、「自分で靴の紐が結べなくなったら」耐えられないだろうと考えた。しかし、実際そうなっても、彼女は人生を楽しんでいる。カトリンは、何に対しても適応すること、何に対しても解決策を見つけることを学んだという。それは将来についても同じで、将来何があっても解決策があると考えることが大切だという。子供の頃からのリューマチ患者にとって最大の危機は、ティーンエージャーになって、皆が恋人を見つける頃だという。彼女は本を読むことで、本の世界に浸ることで、別の世界の楽しみを見つけていた。

彼女の父親は「将来自分が人の助けなしでは生きていけなくなったら」と心配している。カトリンは「助けられる身でも、自分の必要性、重要性は変わらない」と父親に言っている。カトリンは満足を得る上で、新しい問題が発生しても、それにどのように向き合うかを考えることが必要だという。また自分限界を知り、その限界を少しでも遠ざけようとすることが必要だという。人間、誰もが一生健康でいられるわけではない。病気の人も、可能な限り、できるだけのことをすることが大切だとカトリンは言う。

 

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