<第六章、舞台としてのスウェーデン>

 

スウェーデンは「小さな国」であると言える。面積は日本より大きい。しかし、人口は約一千万人と日本の十三分の一である。しかし、何より、他国との関係が薄い、他国への影響が少ないという意味で、「小さい国」であると言える。

一九三〇年代、スウェーデンとノルウェーでは、社会民主党政権の下、理想主義を掲げて、福祉国家を目指した。また、政治的には「中立」を大前提としていた。しかし、その中立主義も、第二次世界大戦の際に揺らぎ、戦後、傷跡を残すことになる。

一九四〇年、ナチスドイツがノルウェーに侵攻したとき、スウェーデンは「中立」を理由に隣国を助けなかった。スウェーデンはその後、その罪の意識に苛まれることになる。また、どこまで自分達が「中立」でいられるのかという不安、動揺が国民に広まる。そんな中で、ナチスに同調する人たちも現れる。もともと、スウェーデンにも、反ユダヤ主義の意識や、精神異常者に強制的に不妊手術を施す法律等、人種差別、淘汰の思想はあった。

第二次世界大戦勃発時、スウェーデンはドイツ軍の国内通行を拒否するが、後にその圧力に屈して通行を認める。第二次世界大戦中、中立主義は危機に立たされる。戦中のナチスに対する関与が、ラーソンの「ドラゴン・タトゥーの女」やマンケルの「帰って来たダンス教師」等など、度々スウェーデンの推理小説で取り上げられるテーマとなる。

一九八六年、オーロフ・パルメ首相が暗殺される。それまで「開かれた政府」をモットーにしていたスウェーデンでは、首相にボディーガードさえつけていなかったのだ。首相が公衆の面前で暗殺されるという事件で、スウェーデンの安全、中立が、それほど強固なものでないことが露呈した。また、パルメ暗殺の犯人は結局捕まらなかった。そのことは、警察、国境警備などのシステムに対する国民の不信感を高めた。人々は、「開かれた自由の国」というイメージが崩れたこと、また外からの脅威が迫っていることを感じ、不安感を募らせた。このような国民の不安感、国家権力に対する不信感は、推理小説の中にも色濃く反映している。シューヴァル/ヴァールーの作品は、まさにその不安感、不信感を描いている。

一九九〇年代、世界的な環境の変化に適応するため、「新しい民主主義」が模索され、企業の民営化などが押し進められたが、必ずしも成功しなかった。そんな中で、「安全、繁栄、寛容」などの謳い文句は、偽善的なものになりつつあった。一九九五年、スウェーデン政府は、これまでの「中立」の国是を破り、欧州連合(EU)に加盟する。EUへの加盟に対していまだに賛否両論があるが、ともかくスウェーデンは国際化の波に洗われることになる。これまでの「中立主義」(「孤立主義」と言ってもよいが)は、政治だけではなく、人々の心の中にもあった。グローバル化の中で、これまでと同じように、他人と一定の距離を置いて付き合うことは難しくなっている。その困難さを、マンケルやラーソンは描いている。

 

英国の批評家スティーブン・ピーコックは、スウェーデンの推理小説の「舞台」として、三つを挙げている。人気のない延々と広がる大地、混み合った都市、そして国境である。それに加え、現在重要な位置を占めるのがサイバースペースであると彼は主張する。

スウェーデンには、人口密度の低い土地に広大な森林地帯が広がっている。これは犠牲者の死体を隠すのにも、犯人が隠れるにも、絶好の条件だと言える。人里離れた家、村、町は密室ミステリーの舞台に適している。閉じられた空間は、犯人が外からの侵入することを困難にし、中にいる人々に、より高い緊張感を与える。その典型が、オーサ・ラーソンの小説に登場するキルナ(Kiruna)であろう。北限の町、これ以上北に人は住んでいない。住民は皆顔見知りである。狭いがゆえに、憎悪も増幅される。お互いに庇い合う。それらが、捜査を難しくする。しかし、そんな街にも、観光やビジネスで外界との交流があることが紹介されている。

更に、スウェーデンは英国以上に「島国」であると言える。ストックホルムでさえ、何百という島から構成されている。デンマークのコペンハーゲンとスウェーデンのマルメの間に架かる、長大なエレズンド・ブリッジは、スウェーデンを「外国」とつなぐ象徴的な存在として、小説の中でもしばしば取り上げられている。あた、島は隠れ家を提供する。マンケルの「一歩遅れて」では、次に自分が殺人のターゲットになると感じた女性が島に隠れるというシーンがある。また「不安に駆られた男」でも、行方不明になった男が、ある島に隠れている。

スウェーデンにはストックホルム、イエーテボリのような都市も存在する。スウェーデの推理小説において「都市」は、シニカルな雰囲気の場所として登場することが多い。人々が流れ込んで埋没していく場所として、嘘の渦巻く場所として描かれている。一九六〇年代のストックホルムがシューヴァル/ヴァールーによって描かれている。また、映画においても都会の醜さを強調する映像が用いられることが多く、車がその象徴として扱われていることが多い。

ヴァランダーの「ピラミッド」、低空飛行でレーダーの網を潜り抜け麻薬をスウェーデンに運び込む飛行機が登場する。「リガの犬たち」では東側で殺されたふたりのスパイの死体が、イスタドの浜に漂着する。スウェーデンは、人気のない森林地帯や海という「簡単に越えられる国境」に囲まれている。つまり、金さえあれば、国境を越えて物や人を運び込む、運び出すことが極めて簡単な国なのである。同時に、国際化社会となり、金を外国に持ち出す、投資することはいとも簡単になっている。消費財だけではなく、犯罪も外国から流入し、スウェーデン国内でも、犯罪が大都市から地方都市への拡散を見せていることが、ヴァランダーシリーズでは描かれ、同時に嘆かれている。

サイバースペースは、スティーグ・ラーソンのミレニアムシリーズを始め、多くの小説に登場する。匿名性の世界、同時にいくつもアイデンティティーが持てる世界、そして他人の秘密を簡単に知ることができる世界である。また、暴露も簡単だが、同時に秘匿も簡単な世界である。背景に、スウェーデン人が「新しいものを抵抗なく受け入れられる人種である」ことが挙げられる。例えば、スウェーデンは一九六七年、右側通行を左側通行に一斉に切り替えている。しかし、新しいシステムは全てが有機的に働いてこそ機能が発揮されるが、シューヴァルやマンケルの小説に描かれていることは、最新技術のちぐはぐな導入ばかりである。また、マンケルの「防火壁」のように、コンピューターを使った犯罪やハッキングも描かれている。ミレニアムのサランダーのように、現実社会から引き籠り、サイバースペースに生きる人物も登場する。 

 

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