<第七章、北欧推理小説の映像化>

 

本がいくらベストセラーになったと言えども、映像化されてテレビドラマとなるインパクトには及ばない。本は「その本を読んでやろう」という能動的な受け取り手に限られるが、テレビ番組では「映っているものを見る」と受動的な受け取り手まで含んでしまうからである。その意味では、スウェーデンの推理小説が英国に浸透したのは、映像化されて放映されたことが大きい。スウェーデン製の推理ドラマが、頻繁に英国のテレビに登場するきっかけとなったのが、二〇〇五年から二〇一三年まで三シーズン製作された「ヴァランダー」シリーズである。

クリスター・ヘンリクソンが主人公のクルト・ヴァランダーを演じるこのシリーズは、スウェーデンのイエロー・バード社と、ドイツのARDデゲト社の共同制作である。二〇〇六年の一月より、ドイツ国内でもドイツ語吹き替えで放映されている。英国での放映は二〇〇八年からBBC4で行われた。

元々、スウェーデンとドイツとでは言語や文化が似ていることもあり、スウェーデンのテレビ番組がドイツで放映されることは多かった。それまで北欧のテレビ番組が殆ど取り上げられなかった英国で放映され、それなりの成功を収めたとこは意味が大きい。国際語である英語で放映されることは、その後、飛躍的に受け取り手の数を増やすことになるからである。

スウェーデン製で、クリスター・ヘンリクソンがヴァランダーを演じるシリーズは、二〇一三年の「不安に駆られた男」までが作られている。このシリーズの特徴は、マンケルの「クルト・ヴァランダー」シリーズの登場人物を踏襲しているが、殆どのエピソードが、テレビのために書かれたオリジナルであることである。「ヴァランダー」シリーズの原作は、全部で十作しかないのであるから、シリーズを続ける上では避けられないことかも知れない。

話を少しややこしくするのは、このスウェーデンで製作されたクリスター・ヘンリクソン主演の「ヴァランダー」シリーズとは別に、ふたつの同名のシリーズが存在することである。ひとつは一九九四年から二〇〇七年に劇場映画用にスウェーデンで製作された、ロルフ・ラスゴールドがヴァランダーを演じるシリーズ。個人的には、ラスゴールドのヴァランダーが筆者のイメージに一番合う。しかし、原作からかなり離れているという感は否めない。原作を読んだ人間は、少し失望する。

三つ目のシリーズは、英国の俳優ケネス・ブラナー主演で、英語版で製作されたものである。製作はBBCとスウェーデン版も製作したイエロー・バード社とBBC。舞台はスウェーデンであるが、会話は全て英語で行われている。原作に忠実であるという点では、このシリーズが一番であろう。ケネス・ブラナーは、二〇一二年、ロンドンオリンピックの開会式にも登場したように、英国では正統派のシェークスピア俳優として知られている。彼が「くたびれた中年男」を演じると聞いたときには違和感を禁じえなかったが、さすがに名優、それなりに演じている。このシリーズ、面白いのは、テレビのニュース、新聞の記事、街の看板等が全てスウェーデン語にも関わらず、会話が全て英語であること。しかし、吹き替えでない分、会話が自然に響く。

 

何と言っても、北欧の犯罪小説の映像化で成功を収めたのは、スティーグ・ラーソンの「ミレニアム」三部作の製作と公開であろう。この作品、世界の六十カ国に販売され、放映された。特にノーミ・ラパスの演じるリズベト・サランダーの個性は強烈で、多くの人々を魅了した。

この製作に携わったのも、「ヴァランダー」シリーズを手がけたイエロー・バード社である。同社がスウェーデンの小説を他の国に紹介した功績は大きい。この会社は「ベストセラーの映像化」に特化している。ベストセラーは、ストーリーがある程度知られ、本の読者が映像にも興味を持つであろうことを考えると、成功する確率が高い。「ミレニアム」三部作は第一作を劇場で公開、それ以降はDVDでと予定されていたが、第一作が予想外の人気を博したため、第二作、第三作とも劇場で公開されることになった。通常、イエロー・バード社の戦略では、第一作は制作費、宣伝費ともかけて劇場で公開し、ある程度の投資を回収してから、第二作を製作、第二作以降はDVDというものである。その後、放映権がテレビ局に売られ、最初は有料で、最後に無料で放送されることになる。このような映画、DVD、テレビを組み合わせたセールスがこの会社のやり方である。

ベストセラーの映画化には、大きな障害がある。それは、原作を読んだ人間にどれだけ満足感を与えるか、いや、いかに失望させないかという点である。視聴者は本を読んだ時点で、ある程度の「イメージ」を登場人物や背景に抱いている。映像がそのイメージと余りにもかけ離れていると、見る者は映画に違和感を持つ。また、映像化には時間的、技術的に制限があるので、原作に書かれたエピソードを全て盛り込むことはできない。それどころかストーリーの多少の改変も必要になってくる。ストーリーが余りにも原作から乖離してしまうと、見る者はまたまた失望してしまう。この点、「ヴァランダー」シリーズも、「ミレニアム」シリーズも、かなり原作に忠実に作られており、原作を読んだ視聴者に与える違和感や失望は最低限に抑えられていると言える。

これには理由がある。ヘニング・マンケルが、この会社の設立のメンバーとして入り、作品を監修しているのである。彼だけではなく、同社の製作過程においては、原作の作者をメンバーに加え、作品の持つイメージを原作者が常にチェックしながら、作品が作られているとのこと。「原作を読んだ者を失望させない」という点には理由があるのだ。

 

スウェーデンではないが、北欧で作られた推理ドラマで、英国の大衆に最も受け入れられたのが、デンマーク国営放送制作の「犯罪(Forbrydelsen)」、英語でのタイトルは「ザ・キリング(The Killing)」である。主人公はソフィー・グロベール演じるコペンハーゲン警察の女性警視のサラ・ルンド。このシリーズと彼女は、ドイツ、英国等でも大きな人気を博した。英国ではルンドの着ている手編みのセーターが、女性の間で流行するほどの社会現象となった。現在までに三シリーズが作られ、第一シリーズは、エミー賞外国ドラマ部門や、BAFTA英国映画アカデミー賞テレビ部門)の候補作となった。

二〇〇七年製作の第一シリーズは、全二十時間で、デンマークや英国では一時間ずつ二十回に渡って放映された。ドイツでは二時間ずつの十回のシリーズで放映されている。原題の「Forbrydelsenはデンマーク語で「犯罪」という意味。ドイツ語ではそのままの「Das Verbrechen」というタイトルが付けられている。ドラマはひとつのシリーズでひとつの事件をテーマにし、第一シリーズでは十一月三日の第一日から、十一月二十二日までの第二十日までを、一日毎に描いている。毎回新たな人物が容疑者として浮かび上がる設定となっている。従って、沢山の容疑者が出てくる。捜査が進むにつれ、皆がどこかで嘘をつくか、真実を隠していることが分かる。もちろん、真犯人は最終回まで分からない。

しかし、最終回まで真犯人を知らなかったのは、視聴者だけではないのである。真犯人は出演者にも知らされていなかったのである。英国、オブザーバー紙とのインタビューの中で、主演のグロベールは、台本が渡され、その回の撮影が始まるまで、次回の内容や、真犯人が誰であるか知らされていなかったという。

「自分が犯人でないことだけ、知らされていた。」

とグロベールは語っている。

この辺り、脚本、監督のゼーレン・スヴェイストルプの作戦は成功している。容疑者に迫る警察官の演技も、それを否定する容疑者たちの演技も、迫力がある。このドラマの魅力は何と言っても、演技力の極限まで要求された出演者たちの真剣さ、迫力が視聴者に伝わってくることであろう。

同時にソフィー・グロベールの個性で魅せるドラマでもある。脚本がそもそも、彼女が主役を演じることを前提に書かれたのでぴったりくるのも当たり前。いつまでもスウェーデンにやって来ないことに不満を爆発させる婚約者、登校拒否に陥った息子、その他家族に愛想を尽かされ、同僚のマイヤーや上司と対立しながら、何日間も休むことなく、寝る暇もなく、ルンドは捜査を続ける。役作りの際、監督からは「女であることを忘れろ、男になりきれ」と指示されたとのこと。まさにその通りに演じている。サラの熱意と、グロベールの好演が感動を呼ぶ。

これらの作品の成功により、新たな北欧のシリーズが上映、あるいは放映されるとき、「見てやろう」という興味が、人々の間に広まっていった。今後も、北欧で製作された推理ドラマが、英国を始め、ヨーロッパの茶の間を賑わすことは間違いない。

 

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