<第二章 スティーグ・ラーソン>

 

スティーグ・ラーソンとパートナーのエヴァ・ガブリエルソン。

 

スウェーデンの推理小説、推理ドラマの人気への発端が、ヘニング・マンケルの「ヴァランダー」シリーズだとすれば、そのピークと考えられるのが、スティーグ・ラーソンの「ミレニアム三部作(Millennium Trilogy)」であろう。「ミレニアム」というのは、主人公のミカエル・ブロムクヴィストが発行する雑誌の名前である。

l  「ドラゴン・タトゥーの女」(Män som hatar kvinnor 二〇〇四年)

l  「火と戯れる女」(Flickan som lekte med elden 二〇〇五年)

l  「眠れる女と狂卓の騎士」(Luftslottet som sprängdes 二〇〇六年)

(日本語タイトルは日本で出版されたものによる。)

二〇〇九年に英語版が出版され、三冊ともに世界各国でベストセラーとなる。二〇一〇年はまさにスティーグ・ラーソンの年と言えた。しかし、ラーソンは既に二〇〇四年に心臓麻痺で死去しており、自分の書いた小説が成功を収めたことを知ることはなかった。英国の評論家、スティーブン・ピーコックは、「スウェーデンの推理小説、原作とその映像化」(1)の中で、

「列車に乗ると乗客の殆どがラーソンの本を読んでいた。」

と述べている。それほどのブームだったわけである。

同時に映像化も行われ、二〇〇九年より、三部作のスウェーデン版の映画が、ミカエル・ニクヴィスト(Michael Niqvist)とノーミ・ラパス(Noomi Rapace)の主演で製作され、世界中でヒットした。「ドラゴン・タトゥーの女(The Girl with the Dragon Tattoo」は二〇一一年、ハリウッドにおいてダニエル・クレイグの主演でリメイクされたが、残念ながらこれは成功したとは言えなかった。

 

「ドラゴン・タトゥーの女」、英国での映画ポスター。

 

先にも述べたが、「ミレニアム三部作」がベストセラーになったとき、ラーソンは既にこの世の人ではなかった。読者が作者について知りたいと思っても、彼に直接尋ねることはできなかったわけである。ラーソンの生涯、作品が書かれた背景について知る上で、重要な役割を果たすのが、彼と永年一緒に暮らし、実質的な妻と言える、エヴァ・ガブリエルソンの書いた回想録「スティーグと私、スティーグ・ラーソンと過ごした日々」3である。以下の、ラーソンの生涯と、作品の作られた背景は、ガブリエルソンの回想録を基にしている。

スティーグ・ラーソンは一九五四年、スウェーデン北部のスケレフテオSkellefteåという場所で生まれた。ラーソンの父母はウメオの町に住み、彼は九歳のときまで、祖父母とともに、ガスも、電気も、水道もない田舎の村の、木組みの家に住んでいた。「ドラゴン・タトゥーの女」では、スウェーデン北方の、スウェーデン人でも名前を知らないような土地が、舞台になっている。その場所こそ、スティーグが生まれ、子供時代を過ごした場所なのだ。彼は、厳しい自然に囲まれてはいるものの、田舎での生活を楽しんでいたようである。

彼が九歳のとき、祖父が亡くなり、彼はウメオの町に住む両親に引き取られる。町での生活に彼は馴染めなかったようであった。彼はティーンエージャーのときから「サイエンス・フィクション」(SF)のファンであった。単なるファンというだけではなく、自らもSFを書き、同人誌を発行している。二十代の前半には、スウェーデンSF協会の会長を務めていることから、彼はSFの世界ではかなり名前の知れた存在であったようだ。

ラーソンとガブリエルソンは、ラーソンの通う高校で行われたベトナム戦争に反対する集会で出会った。ラーソンは、学業よりも、共産主義者としての政治活動に熱心であった。ふたりは、付き合い始め、ガブリエルソンはラーソンに、「ものを書く仕事」を進め、ラーソンはジャーナリストを志すようになる。つまり、ラーソンもシューヴァル/ヴァールー、マンケルと同じく、彼も左翼の運動家であり、共産主義グループのメンバーだったのである。一九七七年、彼は突然アフリカに向かう。彼が何故アフリカに向かったのか、彼自身は誰にも明かさなかったが、当時結成されたトロツキストによる「第四インターナショナル」のミッションであったらしい。彼はアフリカで女性ゲリラの訓練に携わっていたという。しかし、彼はアフリカでマラリアに罹り、一時生死の境を彷徨う。病が癒え、数ヵ月後にスウェーデンの戻ったラーソンは、スウェーデンの大手通信社「TT」で一九七九年から一九九九年まで働く。彼の仕事は書くことではなく、次々と入ってくる情報を、的確な相手に配信することであった。

新聞社で働く傍ら、彼は、言論の自由の擁護、特に反右翼、反ファシズム、反ネオナチの運動に傾倒していく。彼は、英国で発行されていた、人種差別、ユダヤ人排斥、ファシズムに反対する「サーチライト」という雑誌に触発され、自分もその雑誌に寄稿する。また、スウェーデンでも同じような雑誌を発刊したいと考えるようになる。彼は「エキスポ(Expo)」という季刊雑誌を創刊し、その主題に反ネオナチ、反ファシズムを掲げる。その結果、彼は、極右団体、ネオナチからしばしば脅迫を受けることになる。彼が極右団体から「殺す」と脅かされたことは数度に及ぶという。彼は、極右団体からの報復を避けながら行動する毎日となる。この「エキスポ」という雑誌が、彼の小説の中に登場する「ミレニアム」の原型になったことは言うまでもない。彼は、通信社の仕事、雑誌の編集、「サーチライト」や「エキスポ」の記事の執筆なので、超多忙な日々を送る。

「反右翼」、「反ファシズム」、「反ネオナチ」と並んで彼の活動のもうひとつの柱は「フェミニズム」、「女性の保護」である。彼は、家庭内暴力を受けた女性を援助、保護する活動を続ける。彼の小説の主人公、リズベト・サランダーとその母が、暴行を受けている。彼の小説の中でも彼の活動は継承されている。

彼は一九九七年ごろから、最初は休暇中の暇つぶしとして、小説を書き始めた。しかし、最初彼には、それを出版する気はなかった。二〇〇三年、ラーソンは小説を出版することを決意し原稿を何社かの出版社に持ち込む。何社かに断られたが、ノルステッズ社という出版社と契約をする。しかし、彼は本が発行される前の二〇〇四年、事務所で階段を上っている際、心臓麻痺で死亡する。

彼の死後出版され、映像化された「ミレニアム三部作」は、世界中にセンセーションを巻き起こした。ガブリエルソンによると、ラーソンは死亡したとき、彼のラップトップに約二百ページ、四分の三ほど完成した小説を残していたという。この未完成の原稿は、二〇一三年末の情報によると、二〇一五年の出版を目指して再構築されている。

 ラーソンは、二千ページも及ぶ小説を、ほとんど調査、リサーチなしで書き上げたとガブリエルソンは証言している。ラーソンは、自分の身近にいる人物、建物、事件や自分の知識や経験などを巧みに構成し、この小説を書いたという。雑誌「ミレニアム」とその編集部の描写が出てくるが、これは「エキスポ」がモデルになっているのは間違いない。登場人物にも、実在する人物や、実在の人物をモデルにした者が多い。第二作でリズベト・サランダーを助けるために活躍するボクサー、パオロ・ロベルトはもちろん実在の人物である。しかし、ラーソンは実際にロベルトに会ったことはなく、彼の登場する料理番組から、彼の人格、行動パターンを想像したという。何より、主人公のミカエル・ブロムクヴィストは、ラーソンの分身なのかというところに興味が湧くが、ガブリエルソンは、「コーヒーをガブ飲みする、職業がジャーナリストである」以外に、共通点は余りないと語っている。

「ミレニアム三部作」の最大の魅力は、リズベト・サランダーのキャラクター、その特異な価値観、行動パターンであろう。そして、彼女にはモデルがあるのかというところも興味深いところだ。ラーソン自身は、サランダーのモデルとして、一番多くを取り入れたのが、スウェーデンの児童文学作家、アストリッド・リンドグレン(Astrid Lindgren)の「長くつ下のピッピ(Pippi Långstrump」の主人公だと述べている。体中に刺青とピアスをし、暗いイメージのサランダーのモデルが、童話の主人公であるというは面白い。

「ミレニアム三部作」は「復讐」の物語であると言える。ブロムクヴィストは、自分の信用を失墜させ、刑務所にまで入れた相手に復讐を試み、サランダーは、自分と母を虐待した、弁護士、父親に復讐を試みる。ガブリエルソンによると、ラーソンは、他人からひどい仕打ちを受けたとき、それに対して復讐するのは「権利」ではなく「義務」と考えていたという。幼いときから、ラーソンは、同級生に理不尽な行いやいじめを受けると、それに必ず復讐をしていたという。相手が強すぎてすぐには復讐ができないとき、雌伏し、時期を来るのを待ち、何時かは復讐を実行した。

「仕返しをしてはいけません。」

という日本の教育や、

「左の頬を打たれたら、右の頬もさし出せ。」

という新約聖書的な考え方とは正反対であると言える。ともかく、「復讐」ということに、ラーソンが独自の考えを持っていた、その考えが「ミレニアム三部作」の中に具現化されているということは確かであろう。

ラーソンは極右団体から、命を狙うと脅されながらも、反ネオナチ、反ファシズムのキャンペーンを止めなかった。この姿勢も、叩かれても叩かれても、権力を持つ者に戦いを挑むサランダーにより具現化されていると言える。

 

映画主演の、ノーミ・ラパスとミカエル・ニクヴィスト。

 

作品を簡単に紹介しておく。まず、第一作の「ドラゴン・タトゥーの女」である。

雑誌「ミレニアム」の共同経営者兼記者である、ミカエル・ブロムクヴィストは、裁判に破れ、罰金と禁固刑をくらうことになる。彼は、雑誌社に迷惑をかけないように、社を離れる。ある老弁護士が、自分の主人、ヘンリク・ヴァンガーに会ってくれるよう依頼する。ヘンリク・ヴァンガーは高齢のため現在は引退しているが、かつてはスウェーデンで一、二を争う企業グループ、「ヴァンガー・コンツェルン」の総帥であった。ヘンリクはストックホルムから北へ行ったヘデスタッドと言う小さな町に住んでいた。

その町でミカエルは八十二歳になるヘンリクと会う。ヘンリクがミカエルに依頼したいこと、それは、三十六年前に起こった、ハリエット・ヴァンガー失踪事件の調査であった。ヘンリクが親代わりを務めていたハリエットが、三十六年前、十六歳の夏に忽然といなくなってしまったのだ。

ヴァンガー一族は、ヘデスタッドの町外れにあるヘデビーという島に居を構えている。そして、その島は本土から一本の橋だけで結ばれている。ハリエットが行方不明になった日、ヴァンガー一族の構成員は、年に一度の会合のために、ほぼ全員が島に集まっていた。皆が島に着いた日の午後、島と本土を結ぶ橋の上で、タンクローリーと乗用車が衝突する。その事故のため、橋は不通となり、島は翌日まで本土から隔離されてしまう。まさに、その午後、ハリエットは突如として姿を消したのであった・・・ 

いわゆる「密室トリック」である。少女が姿を消した時間、島は完全に周囲から遮断された、「密室」状態であった。また、同時に過去に起こり迷宮入りした事件を、資料だけを基に解き明かすというストーリー。両方とも新しいものではない。アガサ・クリスティーも「象は忘れない」(Elephants Can Remember 一九七二年)で、同じような試みをしている。

発想的には余り新味のあるとは言えないこの物語に、決定的な魅力を与えているのが、主人公のミカエルと、彼と共に調査を進めるリズベト・サランダーである。ミカエルは四十五歳の有能な記者で、正義感に溢れてはいるが、奔放な私生活を送っている。リズベトは、ハッカーであり、抜群の記憶力を持つが、子供時代の過去を背負った、少女の面影を残す二十五歳。漫才のように、ふたりの掛け合いで話が進む。そのテンポはこれもまた面白い漫才師のように絶妙である。これまで、他人と付き合えず、ほとんど誰にも心を閉ざしていたリズベトの「社会化」も見所である。彼女が、反発を感じながらも、だんだんとミカエルのペースに乗せられ、彼に心を開いていく過程が面白い。

 

第二作、「火と戯れる女」の一シーン。リズベト・サランダーを演じる、ノーミ・ラパス。

 

第二作の「火と戯れる女」からは、リズベト自身の過去が、物語の中心となる。

フリーの記者ダグ・スヴェンソンとパートナーで大学院生のミア・ベルクマンは少女売春組織を追っていた。ダグは調査結果を「ミレニアム社」から近々出版する本で明らかにする予定であり、ミアはそれを博士論文の形で世間にその犯罪について公表する予定であった。彼らの調査結果の中には、少女売春に関わった人物の名前が含まれており、そこには政界財界の著名人も名を連ね、彼らの調査結果が発表されると一大センセーションが巻き起こることが予想された。ダグは調査を進める中で、少女売春組織の元締めと思われる「ザラ」という人物に行き当たる。しかし、その「ザラ」は一切の公式記録がない、謎に包まれた人物であった。

スウェーデンに戻ったリズベトは、街で弁護士のビュルマンが金髪の大男と一緒にいるのを見つける。リズベトは、自分に暴行を加えたビュルマンに「私はサディストの豚、いやらしい強姦者です」という刺青を彫っていた。彼女は密かにその大男の後を追う。そして、その大男がポニーテールの男と会っているのを見つける。リズベトはビュルマンが何かを企んでいることを知る。

深夜リズベトのかつてのアパートの近くを通りかかったミカエルは、まずリズベトが車から降りるのを見つける。その直後、ポニーテールの男がリズベトを襲う。リザベトは車のキーでその男に傷を負わせて逃げる。ミカエルもその男を追うが、男に殴り倒される。彼はリズベトも見失う。リズベトは夜にダグ・スヴェンソンとミア・ベルクマンのアパートを訪れる。そして自分は「ザラ」に関する情報を持っていると告げる。

ミカエルも同じ夜、ダグとミアのアパートを訪れる。中へ入ったミカエルは、ダグとミアが撃ち殺されているのを発見する。駆けつけた警察官は階段で犯行に使われた拳銃を発見する。それはビュルマンの物で、そこにはリズベトの指紋が残されていた。警察は、リズベトを容疑者として指名手配する。

殺されたダグの書いた原稿やメモを読んだミカエルは、ダグの発行しようとしていた暴露本の原稿の中に、警察官や検察官までも登場していることを知る。彼は、原稿の内容を察知した誰かが、本の発行を止めさせるために、ダグとミアを殺したのでないかと推理する。また、捜査本部の長となった刑事ブブランスキーも、リズベトが犯人であるという説に疑問を感じ始める。

ミカエルは、ダグの記事に載っていたグナー・ビョルクという男と連絡を取り、面会の約束を取り付ける。ミカエルはグナー・ビョルクに会う。ビョルクは元保安警察(スウェーデンの国家的スパイ組織)の一員であった。ミカエルはビョルクに彼が関与した少女売春について記事にしないことと引き換えに、ビョルクが「ザラ」について知っていることを話すように取引をする。

ビョルクは「ザラ」という人物の過去について語り始める。「ザラ」の本名はアレクサンダー・ザラチェンコ、元ソ連のスパイであった。一九七〇年代、本国と上手くいかず、追われる身となったザラチェンコはスウェーデン政府へ亡命を申請する。そしてソ連の情報をスウェーデン側に提供する代わりに、自分の身の安全と、新しいアイデンティティーを求める。当時保安警察にいたビョルクは、ザラチェンコの担当であったのだ。ビョルクは更に、ミカエルが驚愕する事実を伝える。それは思いもよらぬ、ザラチェンコとリズベトの関係であった。リズベトはザラチェンコの娘であったのだ・・・

 

第三作「眠れる女と狂卓の騎士」で、奇抜な衣装で裁判所へ望む、リズベト・サランダー。

 

第三作は、秘密警察との戦いがテーマである。

リズベトは、父、ザラチェンコへの復讐を試みが返り討ちに遭う。頭に弾丸を受けたものの、命を取り留めた彼女は、イェーテボリの病院に運び込まれ、そこで頭から弾丸の摘出手術を受ける。また、リズベトから斧で切りつけられた父のザラチェンコも、何とか命は取り留める。そして、ふたりは同じ病院で治療を受けることになる。現場から逃亡したザラチェンコの息子、つまりリズベトの異母兄弟ローランド・ニーダーマンは、追手の警察官を一人殺害し、行方をくらます。

一方、警察では、記者ミカエル・ブロムクヴィストから、リズベトの過去とそれに対する治安警察の関与が記された極秘資料を受け取った捜査班のリーダーブブランスキーが、その書類を検察官エクストレームに提出する。一九七〇年代、ザラチェンコの亡命に関与し、その秘密をミカエルに流した治安警察官、グナー・ビョルクは、警察に連行される。しかし、警察も検察も、実際、治安警察を敵に回して捜査を続けてよいものかどうか、決めかねている。

ミカエルはリズベトの無罪を信じ、何とか彼女を助けようと考える。まず、彼は妹のアニカ・ジャンニーニにリズベトの弁護人になってくれるように依頼する。アニカもそれを承諾する。更に、ミカエルは、同じくリズベトを助けようとしているミルトン警備保障の社長アルマンスキーに協力を依頼する。そして、いずれ始まるであろうリズベトの裁判に合わせて、リズベトに関する真相と、治安警察の陰謀を暴露する記事を雑誌「ミレニアム」に載せることを計画する。しかし、治安警察に関しては余りにも謎が多すぎて、彼自身、「ストーリー」の作成に苦しむ。

リズベト、ザラチェンコ共に、病院で意識を回復する。ふたりとも重傷を負い、不自由な身体ではあるが、ザラチェンコは何とか、リズベトを片付けてしまいたいと考え、リズベトは何とか自分を守る手段を考える。ある夜、保安警察のメンバーのひとりがザラチェンコを訪ね、協力を要請するが、ザラチェンコはそれを拒否する。

ひとりの老人が、ストックホルムの駅に降り立つ。彼の名は、エヴェルト・グルベリ、かつて治安警察の一員であり、治安警察の中の更に秘密の組織である「セクション」の創設者でありその長であった人物である。そして、彼こそ、ザラチェンコの亡命を認め、ザラチェンコに新しいアイデンティティーを与え、ザラチェンコの秘密を守るために、数々の犯罪と、揉み消し工作を指揮した人物であった。彼は、セクションの事務所を訪れ、同じく引退していたもうひとりのセクションのメンバー、クリントンを復帰させ、リズベトとザラチェンコの事件の幕引きを図る。

彼は、まず出世欲に取りつかれた検察官、エクストレームを利用し、リズベトに関する資料は偽造だと思い込ませ、裁判を自分たちに有利な方向に持っていくように仕向ける。エクストレームはリズベトに同調的であったブブランスキーとソニア・モーディクを捜査班から外し、代わりにリズベトを嫌うハンス・ファステに事件を担当させる。また、グルベリとクリントンは、ミカエルと妹のアニタ、「ミレニアム」のメンバーの尾行、電話の盗聴を指示する。

グルベリは自らの「最後の使命」を実行する。彼は精神異常者を装った手紙を、政府の要人に送った後、イェーテボリの病院に向かい、ザラチェンコを射殺する。彼はリズベトをも殺そうとするが、ちょうど訪れていたアニタの機転で、リズベトを始末することはできなかった。彼は最後に自分に銃を向ける。事件は「精神錯乱の老人」の起こした事件と言うことで片付けられそうになる。しかし、余りにも「出来過ぎた」話に、ミカエルや警察の捜査班長ブブランスキーは背後にある組織の存在を、いよいよ強く感じ取るようになる・・・

 

ラーソンは、この三作しか小説は出版していない。四冊目の執筆中に、彼は亡くなっている。ジャーナリストとしてのラーソンだが、BBCのインタビューの中で(2)かつての同僚、ラッセ・ヴィンクラー(Lasse Winklerは、

ラーソンは例え作家として成功しなくても、身体を張ってファシズムと戦ったジャーナリストとして名前を残していたはずだ。」

と述べている。「ドラゴン・タトゥーの女」には、ナチスと関係した家族が描かれている。ジャーナリストとして、ラーソンはナチス、右翼、ファシズムに対して「戦うジャーナリスト」であったと、同僚は回顧する。また、彼は、女性への性的な暴力を自分の作品の中で描いている。ラーソンが家庭内暴力、レイプ、社会から差別と迫害を受けている女性などのための本を書いていたことが証言される。ラーソンはフェミニストであったと、コメンテーターは証言する。リズベトの過去はまさに、このようなジャーナリストとしての取材体験から成り立っているものと思われる。

ラーソンの死後、その「お別れの会」には国外からも多くの参加者があったという。英国の雑誌「サーチライト」の編集長その他、色々な人々が計十八人、弔辞を述べたという。このことも、ラーソンが、人権を守り、人種差別やファシズムに反対し、それと戦うジャーナリストとして、著名であったことが伺える。

ともかく、スウェーデンの推理小説の欧州における人気を、一部の推理小説ファンの世界から、ごく普通の人々の間にまで広げたという点で、ラーソンの功績は大きい。

 

***

(1)

Swedish Criminal Fiction, Novel, Film, TelevisionSteven PeacockManchester University Press 2014(英国)

 (2)

Nordic Noir, The Story of Scandinavian Crime Fiction, BBC Four, Time Shift, 21:00-22:00, 21 August 2011

(3)

Stieg & Me, Memories of My Life with Stieg Larsson, Eva Gabrielsson, Orion, 2011 (英国)

 

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