おめかしして何処行くの

 

ウェストエンド、ヘイマーケット通りには劇場や映画館が軒を連ねている。

 

八月末の水曜日の夜(ミュージカルに出かけるのは何故かいつも水曜日なのだ)、「オペラ座の怪人」を見に行くことにした。今回も妻が留守の間の単独行である。一度家に帰って、軽く夕食をとってから出かけようという腹積もりをしていたが、午後になってどんどん仕事が入り、会社を出るのが遅くなってしまった。朝七時から働く僕の定時の退社時刻は、午後三時半なのだ。何だかパートのおばさんみたい。

時計が五時を過ぎた。

「七時半の舞台に間に合い、しかもその間に何かを食べるためには、ぼちぼち出ないとやばい。」

と考える。とたんに机の上の電話がなる。出張中の同僚ジェイからだった。

「モト、まだいるの?」

よく言うよな。それを期待して僕に電話をかけているくせに。

急いで電話を終えて、五時過ぎに会社を出る。もう家に寄っている暇はない。直接劇場へ行くということで、いつもオフィスのハンガーに掛けてある黒い上着を着た。一応オフィスではネクタイをしているが、僕は出勤するときはネクタイも外し、野球帽に毛布のような生地のジャンバーを着込んでいる。つまり競馬場通いのおっちゃんみたいな格好なのだ。義母がロンドンの家に泊まっているとき、僕がそんな格好で朝出て行くのを見て。

「今日は会社お休みなんですか。」

と聞かれたことがあった。オフィスを出ようとするところで、同僚のアツヨに、

「あれま、モトさん、今日はスーツ姿で、おめかしして、どうしたんですか。」

隣にいた、T次長も、それに応えて、

「あれ、今日は何か違いますね。」

と言う。

「大丈夫、これから『ジョブ・インタビュー』(他社に入るための面接)に行くんじゃないですから、安心してください。今日はこれからシアターです。」

と答える。サラリーマンでありながら、スーツを着ていて珍しがられる。こんな人は滅多にいないと思う。

車を地下鉄ノーザンラインの駅の前に停め、そこから電車でウェストエンドのど真ん中、レスタースクエアに向かう。電車の中で、印刷してきた「オペラ座の怪人」の解説紹介記事を読む。気が付くと「エンジェル駅」。

「うっ、やばい、乗り間違えた。」

ノーザンラインはユーストン駅で、ウェストエンドへ向かう線と、バンクに向かう線が分岐しているのだ。僕は間違えて、反対側の線を走る電車に乗ってしまったようだ。慌てて降りて逆方向へと乗り換える。キングスクロスで降り、そこからピカデリー線に乗り換えてレスタースクエアに向かう。

 

パリ、オペラ座の地下に住む怪人と、歌い手のクリスティーン。