アバの功罪

 

一九七〇年代、スウェーデンの存在を当時の日本の一般大衆に知らさしめた「アバ」。

 

ミュージカルの企画、制作過程では、常識的に考えて、ストーリーが先にあって、それに合った歌が作られるのが普通だと思う。ところが、このミュージカル「マンマ・ミーア」は歌が先にあり、それに合うようにストーリーが作られている。タイトルの「マンマ・ミーア」を始め、歌は全て一九七〇年代に一世を風靡したスウェーデンのポップグループ、「アバ」のヒット曲である。そして、既成の曲を使いながら、あたかもストーリーが先に出来ていたように、「自然」に感じさせているのが、このミュージカルの「ミソ」ということらしい。

ちなみに「マンマ・ミーア」とは、イタリア語で「わたしのお母さん」という意味。しかし、本来の意味で使われるよりも、イタリア人は「あれま」というように、びっくりした時の間投詞としてよく使う。ミュージカルの中でも、主人公のドナの前にかつてのボーイフレンドが予告もなしに現れ、彼女がびっくり仰天している場面で唄われていた。

さて、スウェーデンの男女四人組のグループ「アバ」。僕が大学生の頃、つまり一九七〇年代、日本でも大変な人気があった。洗練された、都会的な、どの国の文化にも属さないインターナショナルな魅力とでもいうものだろうか。スウェーデンという国の存在を、日本の一般大衆に最初に意識させたのも彼等でないかと思う。ポピュラー音楽にそれほど興味のなかった僕でさえ、彼らの歌は何曲も知っていたくらい、一種の社会現象だった。

大学の独文科にいた頃、文学部で教えていた米国人の先生が帰国することになった。その送別会で歌うため、隣の英文科の学生が「ダンシング・クイーン」を練習していたのが、今でも耳に残っている。

「〜See that girl, watch that scene, dig in the dancing queen〜」

娘達がティーンエージャーになってから、「アバ」のCDを聴かせてやったら、彼らもたいそう気に入っていた。今でも、ロンドンのポップス系のFMラジオをつけると、毎日必ず「アバ」の曲を聴くことができる。きっと、ビートルズ並んで、

「『アバ』はヨーロッパの人々にとって、『スタンダード』、『民謡』の域なのだ。」

僕はそう思う。

「アバ」は毎年夏に行われるヨーロッパ歌謡選手権で、一九七四年に優勝している。余談になるが、それ以前の優勝者を見ると、歌がスペイン語、イタリア語等歌手の母国語なのだが、「アバ」が英語で歌い優勝した辺りから、急に英語の歌が増えた。確かに英語で歌えば、内容を理解してもらえる可能性も高いのだが。そして、最近はどの国の出場者も似たり寄ったりの英語のバラードばかり。

「どれも一緒やん。」

僕はもう選手権のテレビ中継を見る気がしなくなってしまった。「アバ」の「功罪」という点を考えると、この辺りが「罪」の部分かも知れない。しかし、それも「国際化」、「時代の流れ」なのだろうが。

 

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