難民キャンプの大阪弁
パレスティナ難民のための学校。結構立派な学校。
難民キャンプというと、時とともに難民の数が減り、最後は消滅するのではないかと思いがちだが、ガザ地区、ヨルダン、シリアにある難民キャンプでは、その住民が減る気配がないとのこと。確かにキャンプを去っていく人もいるだろうが、子供が次々に生まれ、新しい世代が誕生するからだ。彼らを援助する国連のUNRWAも、このままでは、永久に活動を続けていくような気がする。
キャンプの中で、日本人の若い女性ふたりと出会った。ヨルダン、レバノン、シリアに卒業旅行にやってきた大阪の学生さんだという。
「それで、どないでした?」
と聞くと、今、デモ隊が警官隊と衝突して死者の出ているシリアでは、きっちり国境で入国を拒否され、従ってレバノンとシリアには行けずに、今日の午後アンマンからドバイ経由で日本に帰るという。
「ちょっとちょっと、いくらなんでも、今頃中東へ卒業旅行に来るのは、全然空気を読んでへんのと違う?。」
と口から出かかったが、言わないでおく。多かれ少なかれ、僕も同じ立場だもの。
三人で話していると、六歳くらいの女の子がガムを売りに来た。追い払っても全然メゲない子で、しつこく僕達に付きまとう。
「いらん言うたら、いらんって言うてるやろ。」
「買わへんもんは買わへん。」
とふたりの学生さんは大阪弁で断っている。僕は、
「ノー・イズ・ノー。」
と英語で断る。でも、どっちにしろ、その女の子はアラビア語しか分からないのだから、よく考えたら、大阪弁であろうが英語であろうが一緒なのだ。
そんなことをしているうちにS隊員が現れ、ふたりの学生さんとは別れる。S隊員がアラビア語で何かを言ったら、「しつこい女の子」はやっと去って行った。
パレスティナ人の学校で働くS隊員は、たった今、今日の仕事が終わったところだという。随分早い気がするが、生徒の人数が増えすぎて、学校の教室が足らないので、現在二部授業が行われているのだ。今週、S隊員は午前十一時に終わる「早番」担当とのことだ。
彼はいわば学校の先生なので、キャンプの中を歩いていると、彼の顔を知っている子供達が声をかけてくる。S隊員はそんな子供たちと、二言三言会話を交わしながら歩いていく。
「難民キャンプって言っても、普通の住宅地と商業地で、ぱっと見には分からないでしょう。」
とS隊員が言う。本当にその通り、もし、僕が偶然、何の予備知識もなくこの場所に迷い込んだら、ここがキャンプだとは絶対に分からないだろう。
子供達は写真に撮られるのが好きだ。