雨のアンマン
雨に煙るアンマンの街。夏場全く雨が降らないが、冬の間はかなり雨が降る。
三月二十三日、水曜日。六時過ぎに起きて窓から外を見ると、何と雨が降っている。これまでずっと晴天だったので、意外な感じがする。窓から見る限りでは傘を差している人はいない。
ヨーロッパには雨が降っても傘を差さない人が、特に男性に沢山いる。ドイツの友人で、
「生まれてから今まで一度も傘を差したことがない。」
と誇らしげに言う男がいた。またG君がポーランドで傘を差していたら、
「男の癖に、女の腐ったような真似をするな。」
と言われたことがあるという。
G君が出勤するとき、僕も一緒に出て、「第七サークル」の空港バスの乗り場まで、バスの時間を見に行くことにした。明朝は時間があるので空港までバスで行くつもり。
外に出るとまだ細かい雨が降り続いている。G君は傘を差し、レインコートを着ている。僕は、ジャケットと帽子だけ。この程度の雨ならそれで十分だと思った。
「女の腐ったような真似はやめろよな。」
とG君に冗談を言う。しかし、歩いているうちに雨が本格的に降ってきた。
「しまった傘を借りて来るんだった。」
と思うが後の祭。高層ビルの上の方は、完全に雲に隠れている。
途中でG君と別れ、空港バスの乗り場まで来る。帽子もジャケットもかなり濡れた。
「ガーン。」
せっかく来たのに、空港バスの乗り場に時間が書いてない。一時間に一本出ていることは知っている。つまり、明日は来る時間によっては、最高一時間待たなければならないのだ。まあ、この辺りが、ヨルダンらしいというか、日本では考えられないご愛嬌だ。
「明日の飛行機は十一時だし、時間があるので、別に一時間くらい待っていいや。」
と僕は呟く。郷に入っては郷に従え。
その日は、改めてワヒダットの難民キャンプを訪れ、そこで働くS隊員にキャンプの中を案内してもらうことになっていた。彼との約束の時間は午前十一時半。まだ時間がある。昨夜途中まで見た「死との約束」のDVDを最後まで見る。残念ながらペトラは出てこないで、他の場所に移し変えられていた。
十時半にアパートを出て、タクシーでワヒダットのパレスティナ難民キャンプに向かう。タクシーを降りるとき、今度は財布がポケットに確実に入っていることを確認する。
まだ約束の時間までに二十分ほどある、難民キャンプの中を歩いてみる。「キャンプ」と言っても、テントがあるわけではない。ちょっとゴチャゴチャした感じの普通の街だ。
パレスティナ難民の歴史は古い。イスラエルが独立を宣言したのは第二次世界大戦後間もなくの一九四八年。しかし、その場所には圧倒的多数のパレスティナ人が住んでいた。それら百万人以上の人々が、イスラエルの領土となった土地から追放され、難民となった。
難民キャンプの中。ゴチャゴチャしているが、普通の街とあまり変わらない。