ラクダを引いた寿司職人
楽しく歓談する隊員の皆さん。すっかり現地に同化して現地人と見紛う方も。
ヨルダンにおける音楽教育の話は続く。
「それとヨルダンの子供達は協調性、ハーモニーというのも苦手なんですよ。ひとりひとりが歌うと結構上手でも、合唱させると、自分だけ目立とうとして全然別のことをやりだすんです。」
とA隊員。
「確かに、日本人の持つ協調性って、素晴らしいですよね。震災の後でも、日本の被災者が助け合って生きているのを見て、外国のメディアが賞賛してますもの。」
と僕がコメントを入れる。
「でも、ヨルダンの子はダンスが好きですよ。女の子だけで、音楽が流れると踊りだすんです。机の上で踊ってる子もいますから。」
学校の先生をやっておられる隊員と話すと、「カウンターパート」という言葉が出てくる。ボランティアは、もちろんヨルダンの学校の教員免許を持っているわけではない。また、アラビア語も流暢に話せるわけでもない。したがって、ヨルダンの学校の先生の「補助」というのが建て前になる。「カウンターパート」というのはボランティアが本来サポートするべき現地の先生方を指す。その「カウンターパート」つまり現地の教員と、馬が合い楽しく働ける場合もあるし、葛藤が生じることもあるようだ。
話していて面白かったのは「シニア隊員」の皆さんだ。僕とそれほど歳の変わらない人々。会社や学校で、それなりの経験を積んでこられた方ばかり、つまり、その道の「プロ」として、こちらに来られている。「シニア隊員」は、「青年協力隊員」と異なり、配偶者の帯同を認められている。つまり、ご主人が赴任されれば、奥さんも付いてきてよいのだ。
C隊員は女性で、僕より少し年上の美術の先生。UNRWAの学校で教えておられる。何と、ご主人と高齢のご両親を故郷に残しての単身赴任だという。何処から見ても普通の「お母さん」だが、その行動力に頭が下がるとともに、理解のあるご家族にも感心する。
六十三歳というD隊員は美術の先生。パレスティナ人が頭に巻く、白と黒の布、カフィーヤを首に巻いておられる。日焼けした顔、パレスティナ人としても通用しそうな容貌だ。
「Dさんって、ラクダを引いていても全然違和感がない。」
と、三周り近く年の離れた若い女性隊員のEさんにからかわれている。
D隊員は、
「日本に帰ったら、調理師の免許を取って、『板前』になりたい。」
と言う。
「いいんじゃないですか、ラクダを引きながら寿司を握る。絶対受けますよ。」
とE隊員がまた茶々を入れている。
二十代の前半から六十代まで、色々な年齢層の人が参加し、一緒に働いておられるのは素晴らしいことだと思う。まあ、その分、そんな人たちのコーディネーター、つまりまとめ役として働くG君の苦労も多いのだと思うが。
夕食会の参加者で記念撮影。年齢、経験、出身地とも多岐に渡っている。