変化が欲しくて
夕食会が終わって後片付けを手伝ってくれている隊員さんたち。美味しかった?
しかし、若い人達が、どういう動機で協力隊に応募されたのか興味がある。その辺りを尋ねてみる。
「私、電車の中で協力隊員募集の広告を見て、応募して、面接を受けて、わずか二週間後に全てが決まっていたんですよね。」
と僕と同じく京都出身のI隊員は言った。彼女は二十代の美術の先生だ。日本でも美術の先生をされていたという。
「おそらく、何か変化を求めている自分がいて、そこに『協力隊』の広告が眼に入ったんだと思います。」
と彼女は言った。
「大学を出て、働く前に、何か全然別のことをしたくて。」
応募したというのは大阪出身のサッカー選手のS隊員。彼は今学校の「課外活動」担当として働いておられる。
確かに、青年協力隊は、「何か変化が欲しい」という若者に、チャンスと、何よりも海外に出る「大義名分」を与える良い制度だと思う。最近の「仕分け」で、協力隊への予算も減らされているのは残念なことだ。
十時過ぎに「お母さん隊員」のCさんの、
「ぼちぼちおいとまします。」
という声が呼び水になって、夕食会はお開きになった。余った食料を、若い隊員さん達が、G君の用意したアルミの「弁当箱」に詰めている。(いわゆるドギーバッグというやつ。)G君はこの辺り本当に手回しが良い。
最後に皆で記念撮影をする。色々な人々と話ができて、楽しい時間だった。もちろん若い女性と話をするのは楽しい。ロンドンでは自分娘達くらいしか、日本人の若いお姉さんと話をする機会がないから。しかし、シニア隊員の方の話も、歳が近いだけに面白かった。若い人達からは元気を、シニアの方からはそれなりの勇気をもらったような気がする。G君とふたりで作った食事も楽しんでもらったみたいだし。
皆さんが帰られるとき、G君がそれまで流れていたBGMを「三波春夫」に変えた。「チャンチキおけさ」が流れ出す。
「これ、『チャンチキおけさ』やないですか。」
と、「お母さん隊員」のCさんは嬉しそう。六十代のD隊員とH隊員も懐かしそう。若い人は知らないだろうけど、この曲は「僕達の世代」のテーマソングのようだ。
後片付けを終えたのが十一時過ぎ。僕はそのまま眠ったが、G君はその後風呂に浸かっていたそうだ。今日、お隣のシリアでは、デモ隊と警備兵が衝突して、死者も出たらしい。しかし、ここヨルダンは平穏だ。
夜、リビングでインターネットを相手に寛ぐG君。