ヨルダンにおける音楽教育
アンマン城にて。右端に不気味な指が・・・
観光案内所を出た後、僕はお気に入りの場所、アンマン城のある丘にまた登り、そこで過ごした。絵葉書を買って、友人達に今日警察で起こったことを書く。何かを書いていると時間があっと言う間に経つ。
今回財布を失くし、G君に金を借りることになったが、これをやるのは我が家では僕が最初ではない。実は、末娘のスミレがG君の前任地ソロモン諸島のガダルカナル島へ行ったとき、やはり財布を失くして、G君に金を借りていた。借りた金はスミレが英国に戻ってから、G君の口座に振り込んだのだが。
「もう、不注意なんやから。気をつけないといかんよ。」
と娘に諭しながら。結局、親子でG君に借金することになってしまった。
五時過ぎにアパートへ戻り、料理の盛り付けを始める。どんな人たちが現れるか楽しみだ。
七時になって、隊員の皆さんが到着し始める。
「G君ちの『居候』のカワイです。」
と自己紹介する。最近は、青年協力隊の他に、シニア協力隊というのもあり、定年退職された後でこちらに来られる方もおられる。その日も、シニア隊員で、僕よりも年齢が上の方が三人来られた。その他は、皆二十歳代か、三十歳前半の若者。結構女性が多いのに驚く。パレスティナ難民のための学校で、体育、音楽、家庭科などを教えておらえる方が多い。ヨルダンでは「情操教育」というものは余り行われていないらしい。
お客さんの接待はG君に任せて、居候の僕は食事の準備と給仕に励む。ある人はテーブルで、ある人はリビングで車座になりながら、食事と会話が進む。
食事が一段落したので、僕もその輪の中に入り、話しに加わる。音楽の先生をやっておられるふたりの若い女性隊員と話す。
「ヨルダン人って音楽は好きなんですか。」
と僕が尋ねる。
「好きだけど、あんまり得意じゃないんです。子供の頃から西洋音楽に触れる機会がないので、音程とかリズムをきちんと取れない人が多いんです。特に、リズム感は最悪。リズムを聞かせて、繰り返えさせても、まともに出来る子が少ないですね。」
とA隊員が言った。僕は、少し意外だった。タクシーに乗ると、大抵、客の好みに関係なく、運転手が大音量でガンガンこちらの音楽をかけている。毎日そんな中で暮らしていたら、音感が良くなるのではないかと思ったからだ。
「アラブの音楽って、コーランの朗詠と一緒で、『言葉』が大事で、メロディーとかリズムって余り重要じゃないんです。それに、ヨルダンの音階には半音の半分の『四分の一音』とかあって、西洋音楽とかなり違うんです。」
と東北地方出身のB隊員が言った。ふーん、そんなものですか。
可愛いお姉ちゃん隊員に囲まれて、ご機嫌。