大根を持ってアンマンへ
ロンドン、ヒースロー空港で資料を読みながら出発を待つ。
二〇一一年三月一七日の午後、僕はロンドン、ヒースロー空港からアンマンに向かって出発した。JICA(国際協力機構)ヨルダン事務所で働く旧友のG君を訪ねるためだ。
ちょうど一週間前の三月十一日、大震災が東日本を襲っていた。ここ一週間、ヨーロッパのテレビでも、海岸線を襲う津波の映像と、制御不能になった原子力発電所の様子が、常にトップニュースとして伝えられていた。僕もここ一週間、インターネットをNHK総合テレビに繋ぎっぱなしにして、日本からのニュースに見入っていた。ニュースでは、刻々と増える死者の数が伝えられている。そんな中、痛む心と、落ち着かない気分での出発となった。
また、今年一月、チュニジアから始まった、中東の「ジャスミン革命」、つまり現政権打倒の動きは、二月にエジプトでムバラク大統領を政権の座から降ろした。三月に入ってからは、リビアがガダフィ政権と反政府勢力の内戦状態に陥っていた。その他、バーレーン、シリアなどの国でも、警官隊や軍隊とデモ隊の衝突が伝えられている。しかし、G君の情報によると、そんな中で「王国」であるヨルダンだけは、他の中東諸国に比べると、格段に政情が安定しているとのこと。
「モハメッドの血を引いた王様だから大丈夫。」
とG君は言う。
チェックインしたスーツケースの中身の半分が食料。G君と僕は、僕の滞在中に、青年海外協力隊のボランティアの皆さんをお呼びして、夕食会をすることにしていた。その時のための材料。僕が、大根二本をスーツケースに入れているのを見て、妻のマユミが、
「ええっ、そんな物まで持って行くの?」
と言って笑っていた。
免税店でG君に頼まれたワインを二本買う。彼自身は酒を飲まないので、多分夕食会のときに出すためなのだろう。ワインを買って金を払うとき、レジのおばさんに、
「どちらまで?」
と聞かれる。
「ぶたまん、じゃなくて、アンマン。」
と答えると、
「そりゃ良い。」
と言われた。何がどう良いのか分からないが。
飛行機の中で、インターネットからダウンロードした資料を読む。G君は、パレスチナ難民キャンプで働くボランティアのコーディネーター。印刷してきた、「UNRWA」(アンルワと発音するらしい)つまり「国連パレスチナ難民救済事業機関」の資料によると、現在、ヨルダン、シリア、ガザ地区などで、四百万人がパレスチナ難民として登録されているという。難民キャンプはヨルダンを訪れた際、是非訪れてみたい場所のひとつだ。
ロイヤル・ヨルダン航空のマークはロイヤルというだけあって「王冠」。