十年ぶりの再会

 

メンヒェングラードバッハ。教会の丘へ向かう坂道。

 

土曜日の夜、英国人の女流作家ドナ・レオン原作、「血に塗られた石」をテレビで見る。ドナ・レオンは、ベニスを舞台にした推理小説「警視ブルネッティ」シリーズを書いている。特にドイツで人気があり、映画化もドイツでなされている。僕の好きなシリーズ。ドラマでは、ベニスを舞台にしながら、ドイツ人の俳優が、ドイツ語でやっているところが面白い。

ロンドンで暮らしている時、僕は全くと言っていいほどテレビを見ない。睡眠、仕事、通勤、食事、ピアノの練習、散歩、二十四時間からそれらの時間を差し引くと、テレビを見ている時間が全く残らないのだ。しかし、出張に来ていると、テレビを見る時間ができる。そして、たまに見るテレビは結構面白い。

日曜日、今日は昼過ぎ、午後二時にヴッペルタール・バルメン駅でヨハンと待ち合わせている。午後一時に近くのライト駅を出る、ドルトムント行きの急行に乗れば間に合うのだが、早めに出て、昔一年間住んでいたメンヒェングラードバッハの街を見ていこうと思う。それで、十一時の列車に間に合うようにホテルを出る。ライト駅までは歩いて三十分、天気が良いので歩いていても気持ちよい。ドイツもオランダやベルギーとの国境に近いこの辺りまで来ると、ひたすら平らだ。三百六十度地平線が見える。

メンヒェングラードバッハ中央駅で一度降りて街を散歩する。メインストリートのヒンデンブルク通りを歩く。なだらかな坂がこの辺りでは珍しい丘の上の教会まで続いている。

何度も書くが、僕は二〇〇〇年から二〇〇一年まで単身赴任でこの町に住んでいた。本来なら懐かしいはずなのだが、今日は何故かそんな気分にならない。ドイツに独りで住んでいた一年間、それ自体は結構楽しかったような気がする。しかし、その後、家族にも、自分の身体にも色々な問題があった。人生のなかでも比較的辛い時代だった。この町に住んでいた時代に遡るのには、そのほろ苦い時代を通らねばならないからだろうか。

僕がこの町に住んでいたとき、よくプールに通っていた。プールは朝六時から開いていたので、僕は朝から千五百メートル泳ぎ、それから仕事に行くなどということもやっていた。僕が町を去ってから、そのプールが火事になったというニュースを聞いた。僕の足は何故かそのプールのあった場所に向かっていた。プールの跡は整地され、芝生になっていた。そして、ここのところの雨で、真ん中には大きな水溜りが出来ていた。

午後一時過ぎにドルトムント行きの急行に乗る。二階建ての列車は二時過ぎにヴッペルタール・バルメン駅についた。最初、ホームに佇む初老の人物がヨハンであると分からなかった。彼は若い頃から髪は薄かったが、身体の線はもっと細かったような気がする。

「久しぶり。」

と言って抱き合う。何時彼と最後に会ったのか思い出そうとする。もう十年以上前のような気がする。彼も走るのが好きで、何度か一緒にジョギングをしたこともあった。

「モトはもう走ってないんだよね?」

とヨハンが聞いてくる。

 

ヨハンもここ十年で歳を取った。そして僕も。