ヘンリー五世は豊臣秀吉か
テムズの河畔もオリンピックムード一色。
「ヘンリー五世(一三八七年−一四二二年)はランカスター朝のイングランド国王。(在位一四一三年−一四二二年)ヘンリー四世と最初の妻メアリー・ド・ブーンの子。ヘンリー六世の父。若年の時から戦いに参加し、父を助けてランカスター朝成立期の国内平定に貢献した。一四一三年に即位すると積極的な大陸経営を目指し、翌一四一四年、フランス国内のブルゴーニュ派とアルマニャック派の内紛に乗じて、休戦中であった百年戦争を再開して、一四一五年十月二十五日アジャンクールの戦いで大勝し、フランス軍主力を壊滅させた。一四二〇年、フランス王シャルル六世の娘キャサリンと結婚、トロワ条約を締結して自らのフランス王位継承権を認めさせ、ランカスター朝の絶頂期を築いたが、二年後に急死した。」
なるほど、ヘンリー五世は、ヘンリー四世の息子で、ヘンリー六世の父だったのである。三代続けて同じ名前を付け、家庭内、ややこしくないのかな。彼は英国のみならず、フランスも支配した。(フランス人には迷惑な話だろうが)英国人にとっては朝鮮に出兵した豊臣秀吉みたいな英雄なのだと考えられる。映画でも、ヘンリー五世は、強烈なカリスマ性を持った指導者として描かれていた。BBC版は最後、ヘンリー五世の葬儀で話が終わる。彼はフランスに勝利し、英国とフランスを統一してから、わずか二年後になくなっていたのである。
ストーリーは一四一五年に行われたフランス遠征をめぐるもの、舞台はフランス、上に書かれたアジャンクールの戦いがクライマックスとなる。そのアジャンクールの戦いについての、「ウィキペディア」の記載は以下のようなものだ。
「一四一五年八月十一日にフランスに向けて出航したヘンリー五世のイングランド軍は、八月十三日に北フランスに上陸し、アルフルールの要塞を包囲し、九月二十二日にはこれを陥落した(アルフルール包囲戦)。予想以上に長引いた包囲戦で疾病・負傷者が増えたイングランド軍は、補給可能なカレー港に陸路移動を開始した。これを追撃しようとするアルマニャック派を中心とするフランス軍を十月二十五日のアジャンクールの戦いで撃破し、多くのフランス貴族を捕虜とした。」
くどくどと書いたが、シェークスピアの歴史劇は、かなりの予備知識がないと、「何のことやらさっぱり」、「どないなってまんねん」状態に陥り易い。
「完璧な予備知識」を持った僕は、その日の昼に、電車でオリンピックムード一色のロンドンの街中に向かった。僕の見るのは、
「お若いの、ちょっとマチネ。」
の昼の部、開演は午後二時。心配なのは雨だ。僕の持っているチケットは、舞台の下の屋根のない平土間、立見席なのだ。わずか五ポンド。七百円の席だから、ある程度は仕方がないんだけど。
土曜日の午後、グローブ座の前でマチネの開演を待つ人々。