第二十章:ホモサピエンスの終焉(人類の今後は)

 

 

世界は、まず物理学の法則で縛られており、その中に化学がある。そして、またその中に生物学がある。人類もこの法則の例外ではない。人類は、生物学的な限界の中でしか生きられない。ダーウィンは、自然の選択、自然淘汰による進化論を発表した。キリンの首が長いのは、首の長い変種が、沢山の餌を食べられるので生き残ったというのである。そこには、神、創造者の意思はない。

しかし、二十一世紀になって、自然による選択の法則が破られ始めた。これまでの進化は、偶然の産物であり、誰の意思でもなかった。しかし、ここに明らかに「意思」を持って、デザインされた進化が顕著になったのだ。一万年前、「農業革命」が起こった頃から、その先駆けはあった。人々はよく卵を産む鶏を掛け合わせた。人類による自然の操作、デザインされた進化である。そして、四十億年間、自然の選択を司ってきた、遺伝子までもが操作されるようになった。これが、将来、「生物学的革命」をもたらすかも知れない。その可能性となりうるものを三つ挙げると、バイオテクノロジー、サイボーグ化、人工知能である。

バイオテクノロジーによって、遺伝子を操作することにより、人類にとって都合のよい種を作れるようになった。これは、何も最近に始まったことではなく、人間は「去勢」によりホルモンを操作し、特定の形質を持つ生物を作った。一九九六年には、ネズミの背中に、人間の耳を生じさせる実験も行われている。現代では女性を男性に、男性を女性に変えることもできるようになった。人間が新しい生物を創ることができる遺伝子工学は、倫理的な批判にさらされている。現在、遺伝子の組み換えは、植物、バクテリアなどに限られている。しかし、将来的には、家畜には、特定の病気に対応するために、遺伝子組み換えが行われるだろう。絶滅した種を復活させるという、「ジュラシックパーク」のようなことが、可能になるかも知れない。事実、シベリアの氷の中から見つかったマンモスの遺伝子をゾウの体内に入れて、マンモスを復活させようという実験がなされている。

ネアンデルタール人を復活させようという実験も行われている。ネアンデルタール人が復活できれば、ホモサピエンスの脳と彼らの脳を比べて、「認知革命」で何が起きたのかを知ることができる。人間の脳も、ネズミの脳も、基本的には構造は同じである。どうして、ホモサピエンスが他の種から一線を画すことができたのか、それを説明できれば、もう一度「認知革命」を起こすことができるかも知れない。現在、倫理的な問題で、人間の複製は作れないが、複製技術がアルツハイマーの治療等に、使えるのではないかと考えられている。しかし、遺伝子操作により、ホモサピエンスが終焉を向かえるかも知れない。

ロボット義手や心臓のペースメーカー、補聴器など、有機物でない機器を人間に埋め込む技術が行われている。また、昆虫や、イルカなどに発信機を埋め込むなどサイボーグ化して、情報を収集させる試みも行われている。視力を失った人に再び見る力を与えたり、サイボーグの腕を持った人が、脳からの信号で直接義手を動かしたりもできるようになった。そのうち、義手の触感を、脳に戻すことも可能になるだろう。この脳の信号により、直接義手や義足を動かす技術は、年々進歩している。身体が次第に麻痺する病気の人間も、電気信号を使って会話ができるようになっている。将来的には、人間の考えを読み取ることも、脳とインターネットを直接つなぐことも可能になるだろう。そうすると、記憶を一時的に外部に蓄えることができる。

生命の法則を変えるものとして、もう一つ、人工知能が挙げられている。遺伝学的なプログラムを組むことにより、生命の営みを、コンピューターにシミュレーションさせることである。その第一歩が、自分でどんどん増殖していく、コンピューターウィルスであろう。ウィルスは、生物ではなく、増殖し、突然変異も起こす。

もし、脳の内容を、完全にハードディスクにコピーできたら、何が起こるだろうか。コンピューターはホモサピエンスとしての自我を持つのだろうか。そして、それは生物と言えるのだろうか。人間の脳は基本的に電気信号で動いているので、理論的にはその内容をコンピューターに移すことは可能であろう。そのプロジェクトは、今進行中である。

生物学的な発見が次々になされるにつれ、それに合わせて法律的な整備も必要になってきた。人類最初の遺伝子の解明には、十五年の時間と、三十億ドルの費用が掛かった。しかし、現代では同様の作業を、わずか数週間で行うことが可能になった。遺伝子の解析により、病気の治療効果が、飛躍的に上がっている。しかし、その技術の悪用が考えられる。例えば、「スーパー人間」の飼育などを誰かが試みるかも知れない。また、画期的な治療法を、一部の人間だけが独占することも考えられる。そのためにも、法律の整備が必要となるだろう。

医療が治療に使われている間はまだいいが、それが「新しい人間」を作り出すことに使われたどうなるだろう。現代では、人間の平等が叫ばれているが、本当に頭の良くなる薬ができたらどうなるのだろうか。現在、そのようなことがもう起こり始めている。現代の化学をもってすれば、ホモサピエンス自体を操作することも可能である。ホモサピエンスがネアンデルタール人を滅ぼしたように、我々が新人類に取って代わられることがあるかも知れない。

メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」という小説がある。人工の生命を作る科学者の話しである。「神の領域に踏み入れたら罰を受ける」という当時の「お約束」に基づき、発明した博士は滅びる。将来、自然破壊や核戦争で、地球にホモサピエンスが住めなくなるかも知れない。その場合、生きていけなくなったホモサピエンスが、その技術で、自分たちを変えることもありえる。クローンの問題もある。身体はコピーできても、心もコピーできるのだろうか。

人類は未来を予言できない。これまで、起こりそうだと思われたことで、実現しなかったことは多い。同時に全然予期していないことが起こったことも多かった。次の世代で、人間の意識や認識を変えてしまうようなことが、起こる可能性は大いにある。

死なない人間を作ることができるのか。ホモサピエンスの終焉を考えて、今の我々に何かが出来るのか。新しい神はできるのか。遺伝子操作は人間でも行われるのか。遺伝子操作が第二のフランケンシュタインにならないという保証があるのか。これら質問に答えるためには、「何をしたいのか」、「何になりたいのか」、はっきりした方向付けが必要になってくる。

 

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