「サピエンス全史」
原題:קיצור תולדות האנושות (A Brief History of
Humankind)
ドイツ語題:Eine kurze Geschichte der Menschheit (人類の抄史)
2011年
ユヴァル・ノア・ハラリ
(ヘブライ語: יובל נח הררי、英: Yuval Noah Harari)
1976年〜
読むのに一年近くかかった本。面白い。読んでいて夢中になる。しかし、それでいて、簡単には読み進めないほど内容の濃い本であった。最後は、一日十ページと自分いうノルマを決め、何とか読み終えた。余りにも面白かったので、メモを基に要約を作ることにしたが、それに、更に二か月の時間を取られ、気が付けば、読み始めてから一年以上経っていた。私が読んだ本の中で、読書期間の最長を記録した、記念すべき一冊になった。「とても面白いが、読むのにはそれなりの覚悟と時間が必要」というのがこの作品の第一の特徴だとすると、「読んだ後、謎が解けたような気がする」というのが第二の特徴だと思う。
どんな謎が解けるのか。それは、「人類は何故、地球の支配者になることができたのか」という疑問である。動物は、かつては横一線でスタートしたはず。その時々に順位は変わったが、どんぐりの背比べ的なレースを繰り返していた。しかし、最後は、ホモサピエンスだけがダントツで抜け出してしまう。そのきっかけは何だったのだろうと、私はこれまで疑問に思っていた。どこかで、人類は他の動物にないテクニックを身に着け、生存競争というレースにボロ勝ちを収めたのだ。その差が余りにも大きいがゆえに、人類は不遜にも「自分たちは神によって作られた特別な存在である」と考え始めたくらい。
ホモサピエンスが身に着けたサバイバルのための「テクニック」、「切り札」とは、「直立歩行」であるとか、「道具の使用」であるとか、「火の使用」であると、私はこれまで学校で習ってきた。しかし、私自身、その説明が何となくしっくり来なかった。事実、ネアンデルタール人や他の人類も、直立歩行をし、火を使用し、道具を使用していた。しかし、ネアンデルタール人は生き残れなかった。その最大の「テクニック」が「神話を信じる能力」、「仮定の話を出来る能力」であると、著者のハラリは書いている。何故そのテクニックをホモサピエンスが身に着けたかは、ハラリ自身も分からないと書いている。ともかく、その結果、同じ「神話」を信じることにより、多くの人を動員できることになり、ホモサピエンスは、団体戦、数の力で他の種を圧倒出来たのだという。その神話の例として、ハラリは「通貨」、「国家」、「宗教」などを挙げている。
「金」、「通貨」が、人類最大の神話だというのはなるほどと思う。「通貨」は、皆が価値があると思っているから価値があるのだ。誰も価値を認めなければ、単に女王陛下や福沢諭吉の顔が印刷された紙きれにすぎない。金属の「金(きん)」にしても、総量が少ないとは言え、抹茶アイスに振りかけたり、酒の中に入れたりするほかは、余り使い道のない金属である。鉄やアルミの方が、ずっと使い道がある。金が神話の上に成り立つという証拠に、かつてのジンバブエなどで起こったハイパーインフレがある。それは、人々が通貨に価値を認めなくなったことによって起こった。「神話」が崩れると、通貨が単なる紙切れになることが、証明されたのである。しかも、現代では、紙幣や硬貨の形で流通している通貨はほんのわずか、大部分は、コンピューターの中のデータとしてしか存在していない。自分も含め、それを完全に信頼しきっている人類に対して、私は一種の驚きを感じた。
著者のハラリの、もう一つ斬新な視点は、人類の歴史に対して「幸福」という尺度を持ち出していることである。それまで、狩猟採集で生きてきたホモサピエンスは、ある時から農業を始めた。その結果、安定して食料が供給されることになり、爆発的に人口が増えた。これまでの歴史観では、人類の発展の証しとして述べられ、「めでたしめでたし」と結ばれているエピソードである。しかし、ハラリは「農業により人間は幸せになったか」という点から考察している。その後の「科学革命」にしても同じ。著者は、常に「人類にとっての幸せ」の観点からも、歴史を評価しようとしている。結論として、「農業の発明」、「科学の発達」などの人類史上革命的な出来事は、人間の幸福度を上げるのには役立っていないと書いている。「技術革新」イコール「便利になること」イコール「幸せになること」という、我々の刷り込まれた固定概念に、彼は鋭いメスを入れている。
この作品では、完全に神の存在を否定している。「神」は、ホモサピエンスが、自分たちが繫栄するために作り上げた、最大の「神話」、「フィクション」であると、著者は断言している。しかし、彼は、ユダヤであり、イスラエルのヘブライ大学歴史学教授である。あの、信仰には一徹なユダヤ人である彼が、どのようにして、彼自身の信仰と、この本に書かれた歴史観を共存させているのか。そこにすごく興味を感じる。私事になるが、私がこの本を読んでいる時期、私はクリスチャンである母親から、聖書の講義を受けていた。一方で神は真理であるという宗教の講義を受け、もう一方で神は幻想であるという講義を受けていたわけだ。しかし、このことは非常に興味深かった。どちらが正しいかという問題ではない。一枚の紙の両面から、同時に物を見るという、貴重な体験ができた。
この本を読むのに時間がかかった理由はもう一つある。娘が他界するという、私にとって人生最大の苦難に直面したことだ。この本を手に取るたびに、私は亡くなった娘と、その際の一連の悲しい出来事を思い出すだろう。その意味でも、この本は私にとって特別な一冊となった。
このような本を書くには、生物学、遺伝学、地理学、歴史学、考古学、文化人類学、哲学など、広範囲の学問に精通する必要がある。ハラリは歴史学の教授と紹介されているが、彼のあらゆる分野での博識は、驚嘆に値する。ハラリの万能ぶりは、現代のレオナルド・ダ・ヴィンチではないかと思ってしまう。しかも、それらを流れるような文章で、平易に表現する力もすごいと思う。その平易でかつ説得力のある文章がなければ、いかに面白い内容でも、この本は世界中でベストセラーにならなかったと思う。この著者の別の本も読んでみたいと思うが、また、一年がかりのプロジェクトになるのではないかと、それが心配で踏み切れないでいる。
第五章:歴史始まって以来の欺瞞(農業は人類に幸せをもたらしたか)
(2024年6月)