第十七章:工業の歯車(ベルトコンベアの誕生)
近代経済は、発展する未来を信じ、利益が再投資されることによって成り立っている。しかし、エネルギーや原材料は有限である。使い切ってしまうと全てが崩壊する。しかし、今のところ、新たなエネルギー源開発のために投資が行われており、何とか回り続けている。
人類は、これまで次々と新しいエネルギー源、原材料を開拓してきた。木、鉄、アルミニウム、チタン等、新しい、より扱いやすくて強い材料が使われるようになった。エネルギー源に関しては、最初は木のような有機物、あるいは風や水といった自然の力が使われていた。しかし、それらの資源は限られていた。また、エネルギーを他のものに転嫁したい、というのも長年の課題だった。しかし、それを出来るのは最初、人間の肉体だけであった。太陽のエネルギーで植物が成長する。それを人間が食べる。その人間の力だけが、最初は唯一の力だった。かつて、人間の歴史は、ふたつのサイクルに支配されていた。植物の成長のサイクルと、太陽光のサイクルである。そのサイクルの下の方では食物が不足する。人間は何もできない。サイクルの上の方では食物が豊富にある。すると人間は戦争を始めた。
鍋を火に掛けておくと、蓋が持ち上がる。しかし、人間は、熱が物を動かすことのできるエネルギーであることに、長い間気が付かなかった。中国で最初の火薬が作られた。それを銃として実用化するために、人類は何百年という年月を要した。誰も、人力なしで、機械を動かすことができるなどと考えなかった。そして、遂に、蒸気機関が発明される。
石炭を燃やし、水を熱して、蒸気を発生させる。その蒸気がシリンダーを押す。熱を、力に変えた瞬間だった。蒸気機関は、最初炭鉱の水をくみ上げることに使われた。その後、徐々に改良され、次は織機に使われた。その結果、大量の布を、安価に作れるようになった。これにより、英国は文字通り、世界の工場となった。次に蒸気機関が使われたのが、交通運輸であった。一八二五年に最初の鉄道が作られた。それは、石炭を運搬するものであった。一八三〇年には、人を運ぶための鉄道が敷設され、英国における鉄道の総延長は二十年後には二千キロメートルに達した。
その後も、人類は新しいエネルギー源を求め続けた。石油を使った内燃機関の発明により、石油が国際政治の中で大きな意味を持つようになる。また、アインシュタインは、原子の中にあるエネルギーの存在に気付き、原子力エネルギーが最初は武器として開発された。また、電気は、今日、ありとあらゆる物を動かすために使われている。産業革命の歴史は、まさに、エネルギー転換の歴史と言える。
しかし、石炭や石油といったエネルギー源は有限である。何時かは枯渇する。しかし、太陽は膨大なエネルギーを放出し続けている。別の言い方をすれば、人類はエネルギーの海で生きている。その中で、人類が、効率的にエネルギーをくみ上げることができる方法を見つけ出すことが重要になる。
エネルギー源だけではなく、人類は新しい原材料も発見してきた。アルミニウムは一八二〇年代に発見され、最初は非常に高価だった。しかし、十九世紀後半、新しい精錬法が一気に使用が拡大した。第一次世界大戦中、経済封鎖により、ドイツは火薬の原材料となる硝石が手に入らなくなった。ドイツはアンモニアで代用できることを発見、空気からアンモニアを作る方法により、ほぼ無限に火薬が作れるようになった。
産業革命により、生産性が爆発的に向上したことは、農業にも波及した。過去二世紀で、農業は大きく変わった。トラクター、製粉機、肥料、農薬などで生産性が大きく増した。また交通機関の発達で、市場が拡大した。家畜は、工場のような場所で「生産」されるようになった。多くの乳牛は、箱の中で飼育される。それはもう、牛乳生産機に過ぎない。多くの家畜は、一切の自然の営みとは切り離されたまま、一生を送ることになる。それは虐待や憎悪とは関係がない。人々は家畜を機械と同じように考え、その存在には無関心なのである。最近の研究で、家畜も苦痛を感じていることが分かった。しかし、多くの家畜が、ベルトコンベアの上で生産されるように飼育され、殺される。しかし、この非人道的な扱いをすることにより、人間に十分な肉を供給できるようになったのだ。
かつては人口の九十パーセントが農民だった。しかし、産業革命以降、その割合はどんどん低下し、米国やドイツでは、農民が人口に占める割合は、わずか二パーセントになっている。余った人員は、工業や商業に充当されている。
新しい製品がどんどん開発され、市場に投入される。人類史上で初めて、供給が需要を上回る状態が作り出された。しかし、それを誰が買うのか。近代経済は、絶え間ない拡大再生産を前提に成り立っている。それには、誰かがその製品を買わなければいけない。かつては節約が美徳だったが、今では消費が美徳となった。人々が必要のないものを買い続けることで、経済が回っているのである。その一翼を担っているのが、宣伝、広告である。人々は、心理を巧みに利用され、不必要な物を購入するように仕向けられている。これまで、人類は飢餓と隣り合わせで生きてきた。長い間、一部の人間しか飽食できなかったが、今は肥満が貧しい人々の問題になっている。
利潤を投資に回すというのが、資本主義の論理である。しかし、現代では、金を持っている者ほど金の使い道に気を遣っている。金のない人間が無駄遣いをする構造になっている。無駄に金を使う者ほど、社会に貢献する、というのが現代の教えである。かつては、「欲を抑えれば天国に行ける」と説かれていた。しかし、それを実行できる人は少なかった。現代の教えの方が、実行するのは簡単かも知れない。