第十六章:資本主義という宗教(ピザがどんどん大きくなる)

 

 

 金がなければ科学は発達しない。誰も利益を産まないような活動をしようとしない。しかし、金は気紛れである。あるときは人間を絶頂に押し上げ、あるときは人間を奈落の底に突き落とす。近代の経済は「成長」の一言で表すことができる。過去五百年間、経済は猛烈な勢いで成長してきた。しかし、その前は何百年間も、経済はほとんど成長していなかった。一五〇〇年当時、世界の総生産はおよそ二千四百億ドル、一人当たりに直すと、五百五十ドル程度あったと考えられる。これが現代では、一人当たり八千八百ドルになっている。どのようにしてこのように急速に増えたのだろうか。

そこにはからくりがある。建設業のバウアー氏は、銀行に百万ユーロを預ける。パン屋を開きたいベッカー夫人は、銀行から百万ユーロの融資を受け、その建築をバウアー氏に依頼する。彼女はバウアー氏に百万ユーロを払い、バウアー氏はそれを銀行に預ける。建設に実はもう百万ユーロかかることを知ったベッカー夫人は、さらに百万ユーロの追加融資を受ける。それをバウアー氏に支払い、バウアー氏はそれをまた銀行に預ける。銀行口座には二百万ユーロある。しかし、実際の金は百万ユーロしかない。つまり、銀行にある帳簿上の金は、実存しないものなのだ。それが証拠に、もし、今、銀行の全ての顧客が、預金を引き出そうとすると、その銀行は崩壊する。

成長というのも、人間の幻想のなせる業なのだ。物を生産すれば、その価値が生じ、金(かね)の総量も増える。しかし、そこには、金に対する信頼が必要なのだ。金に対する信頼とは、成長に対する期待と言ってもよい。成長が見込めるからこそ、人々は未来に対して投資をする。そして、その未来に対する信頼で、現在の経済活動が回っているのである。これはクレジットのサイクルと言ってもよい。借金をし、それにより事業を起こし、その利益により借金を返し、更なる投資に向ける。このサイクルが回っているからこそ、人々は未来に投資するのである。

科学革命の前、人々は一枚のピザを分け合っていた。それで、皆が生き延びねばならず、多くの宗教で富を集中させることは罪だと考えられた。しかし、科学革命後、そのピザそのものが、どんどん大きくなり始めた。一枚の限られた大きさのピザを争う状況では、企業の設立は不可能である。

科学革命による、発明、発見により、一枚のピザはどんどん大きくなっていった。人々は、他人の畑を荒らすことなく、新しい分野で利潤を追求できるようになった。人々は、ピザが益々大きくなることを信じて、投資した。今日では、国も企業も個人も、金を借りられるようになっている。それによって成長は加速された。

アダム・スミスが一七七六年に著した「国富論」はそのマニフェストと言える。企業の利益が多ければ、その金が、待遇の改善、雇用の促進、債投資に使われる。企業の利益は、集団の繁栄につながるというものである。私的な利潤追求と、全体の繁栄を結び付けたことは、革命的であった。つまり、それまで「悪」とされていた物欲を、「善」として捉えたのだ。「私が儲かれば、あなたの生活も良くなる。我々はウィンウィンの関係ですよ」ということ。成長して「ピザが大きくなれば、一人でも多くの人が食べることができる」と言ってもよい。

しかし、資本家は、儲けた金を、本当に雇用の促進や、待遇の改善に使ったのだろうか。「儲けは次の生産につぎ込む」という新しい倫理が生まれた。利益は、生産設備の拡大、研究開発、新商品の開発などに使われた。労働者の待遇改善などは、二の次、三の次になった。資本主義の倫理は、あっと言う間に社会に蔓延し、それは新しい宗教のようになった。その宗教の最大の教義は「利益は投資につぎこめ」ということである。それまで支配階級であった、貴族は、資本主義者、資本家に取って代わられていった。そして、社会は、資本家を中心とした、資本主義という新たな宗教に、支配されることになる。新しい宗教を信じる人間のユニフォームはスーツ、日々の活動は「ビジネスチャンス」と呼ばれる、金と物を結び付けることである。今では個人も投資に走っている。また、国の活動、例えばインフラ整備や教育も、投資と考えられている。

「資本主義」はもともと経済の働きを説明する理論であった。それが、いつしか宗教になり、人々の行動規範を定めるようになった。「経済の発展は最良のことである」というのが、その宗教の根本である。しかし、どこでも資本主義は根付くのだろうか。ジンバブエやアフガニスタンでは、どうして資本主義が定着しないのか。資本主義の存在の前提は、「中産階級」の存在であると言われている。これらの、中産階級の存在しない国では、資本主義は立ち行かないのだ。

資本主義は、科学の発展にも大きな影響を与えた。将来的に「金にならない」と判断された研究は、スポンサーも付かず、放置されていった。資本主義の前提は「経済が永遠に発展し続ける」ことである。しかし、そんなことはありえない。自然の法則に反している。

資本主義は、科学だけでなく、帝国主義にも影響を及ぼした。かつて、ヨーロッパはアジアに比べると貧しかった。金貸しはアジアにもいたが、アジアの支配者たちは、金を借りることに興味を示さなかった。金が必要になれば、税金や年貢で賄っていた。しかし、ヨーロッパでは、税金を取り立てることは簡単ではなかった。軍隊は、税金ではなく、国債、つまり借金で維持された。人々は、税金を払うことは嫌がったが、投資には応じたのである。

コロンブスは、最初ポルトガル王に対し、自分に投資するように進言している。しかし、断られ、結局はスペインのイザベラ女王が話に乗った。イザベラ女王の投資は当たった。その後、第二、第三のコロンブスを狙って、ヨーロッパ人はアメリカに対して次々と投資した。こうして、帝国主義と、資本主義が両輪となって回り始めたのである。

投資には成功もあったが、失敗も数多くあった。そのリスクを分散させるため、ヨーロッパ人は「株式会社」を考案した。投資家は、自分の持っている株の範囲でしか、損をしないのである。それにより、限られた金、限られたリスクで投資することが可能になり、ますます投資しやすい環境が整った。

スペインはアメリカ大陸での利権を一手に握った。オランダは出遅れ、わずかな部分しか取れなかった。しかし、結果的に、オランダはスペインやポルトガルに勝利をする。その秘密は傭兵にあった。オランダ政府は銀行から借金をし、それで傭兵を雇った。政府は、法を守り、借金を期限内にきちんと返済していった。特記すべきことは、ここでは、個人の権利が守られたことである。スペインでは、国王が金を返さなくても、個人が裁判を起こして、しかも勝てるということは考えられなかった。こうして、オランダの商人は信用を得て、活躍の場が広がっていった。スペインの国王は金を戦争に使ったが、オランダの国王は投資した。例えば、オランダ政府は、世界最初の株式会社「オランダ東インド会社」を創立させた。民間会社であったが、軍事力を持っていた。東インド会社はその軍事力を使い、インドネシアを占領、その後、二百年に渡りインドネシアを支配する。

十七世紀になると、オランダに代わり、英国、フランスが台頭する。両国とも、卓越した財務システムを持っていた。しかし、フランスは失敗する。フランスはアメリカの植民地、ミシシッピ・デルタの開発のために国営の投資会社を作る。そこにたいした物があるわけではない。しかし、夢を追う人たちにより、投資が集まり、会社の株は上がる。しかし、その後、株は暴落する。フランスの中央銀行が同社の株の買い支えに走り、その結果、フランスの財政は信用を失う。そのため、その後のフランスは、借金を返すための緊縮財政と、高金利に苦しむことになる。このことが、比較的安定し、金利も安かった英国に敗れる原因となった。また、ルイ十六世は、国家財政を救うために、議会を開く。それが革命の原因のひとつになってしまった。

英国は、急激に海外で勢力を伸ばした。しかし、基礎は、ロンドンの株式市場であった。十九世紀になり、海外の資産が次々国有化される。それでも、帝国主義は止まらないどころか、国家、政府はますます資本家の言いなりになっていった。

一八四〇年から一八四二年まで、中国とのアヘン戦争が勃発する。英国東インド会社は、中国に大量のアヘンを輸出していた。多くの英国の政治家はその貿易で儲けていた。清の政府はアヘンの輸入を禁止する。戦争が起こり、清は敗れる。その結果、清は多額の賠償金を支払い、香港を割譲する。アヘンは引き続き輸出され、清では十パーセントの人が、アヘン中毒になってしまった。

エジプトでは、政府が多額の借金を英国からしたため暴動になる。それを抑えるために、英国軍がエジプトを占領した。ギリシアがトルコから独立するために、英国はギリシア救援のための債権を発行し、ギリシアを資金的に援助した。トルコとの戦いでギリシアが負けそうになると、英国は艦隊を派遣。ナバロの海戦でトルコ軍を破った。ギリシアは独立を果たすが、その後、借金に苦しむことになる。このように、資本家の損得が、国の方針を決定していく。借金が返せないと、軍隊が出動して占領してしまうということも、度々行われた。また、「格付け」ということも盛んに行われた。資源が沢山あっても、政情が安定しない国は、資金を得るのが困難になった。

資本主義者の中には、政治との結びつきを好まない人もいた。政治が、市場原理を無視して、多額の税金を徴収し、人気取りのために失業者にばらまくというのである。政治の介入は最低限にして、市場はその意思に任せるという彼らは、「自由市場主義者」と呼ばれるようになり、「資本主義」という宗教の、大きなセクトとなった。しかし、政治介入なしでは経済はあり得ないと考える人もいる。「リーマンショック」など市場原理に任せたための失敗も、数多くあった。

アダム・スミスは、靴職人が暮らしていける以上の金を手にすると、人を雇って事業を拡大する、つまり、雇用につながると言った。靴職人が、使用人に十分な金を支払わなかったら、使用人はそこを辞めて競争相手に行ってしまう。靴職人は待遇を改善するしかない。その原理は、理論上は辻褄が合う。しかし、資本家は市場を独占できた。また、他の資本家と協定を結び、給与に対してカルテルを結ぶこともできた。また、不公平な契約を結び、使用人が逃げられないようにした。そのような場合、アダム・スミスの理論は通用しない。

その極端な例が、奴隷制度である。アメリカ大陸では、ヨーロッパ人が鉱山を開発したり、砂糖、煙草、綿花などのプランテーションを行ったりした。特に砂糖は、当時のヨーロッパでは貴重品であった。しかし、砂糖キビの栽培、砂糖の精製には大量の人手が必要だった。アフリカからの奴隷がその労働に充てられ、十六世紀から十八世紀、約一千万人のアフリカ人が奴隷としてアメリカ大陸に送られた。ヨーロッパ人が、日常的に甘い物を食べられるようになった背景には、そんな黒人奴隷の犠牲があった。奴隷貿易は、国家によって統制され、制度的に行われた。投資家が募られ、その投資家には六パーセントという高配当があったという。

一度金ができてしまうと、その金が正当な方法で作られたかどうか、検証するのは難しい。また、一旦金が儲かりだすと、人々はその手段に対して、目をつぶってしまう傾向にある。資本主義は、多くの人々を殺してきた。皆、金儲けにしか興味がなかったからだ。黒人奴隷の悲劇も、ベンガルでの餓死者も、その一例にすぎない。ヨーロッパの人たちは、植民地で何が起きているか知らぬまま、投資をした。

十九世紀に産業革命が起こり、労働者は貧困に追い落とされた。植民地の状況も悪化し、住民はより搾取されるようになった。例えばベルギー領コンゴでは、ゴム栽培のプランテーションが作られ、ノルマをこなせない者は、怠け者として、腕を切られた。部落の全員が殺されたこともあり、コンゴの人口は激減した。資本主義による搾取は、一九〇八年の共産主義の勃興とともに、少し改善された。資本主義になっても、農民は五百年前と同じような暮らしをし、僅かな報酬で長時間働いた。資本主義は資本主義だけが生き残る世界を作り、もう資本主義なしでは生きられない世界を作った。資本主義がこれまで犯した誤りは修正され、理想の世界が来るのだろうか。エネルギーや原材料は無限にはない。ホモサピエンスがそれらを使い切ってしまったら、何が起こるのだろうか。

 

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