第十四章:非科学の発見(無知を自覚した人類)

 

 

紀元一五〇〇年から現代までの五百年間で、力の構造は根本的に変化した。それまでの五百年間の変化は、本当に微々たるものである。一五〇〇年頃、地球の人口は約五億人、総生産量は二兆五千万ドル程度であったと考えられる。現在の人口は七十億人、総生産は六百兆ドルである。五百年間で、人口は十四倍になり、その人々が百十五倍のエネルギーを消費していることになる。例えば、現代の軍艦一隻だけで、一五〇〇年当時地球上に存在した全艦隊を破壊することができる。五百年前、十万人を超える都市はほとんどなく、夜は真っ暗であった。一五二二年、マゼランの艦隊は世界を一周しているが、三年間の時間を要し、多くの死者を出した。ちなみに、一八七二年には「八十日間世界一周」の本が出され、理論的にはかなり短縮されている。人々はその後、体内のマイクロ組織を知るようになり。それにより数多くの病気が克服された。その後、一九四五年には原子爆弾が完成、一九七〇年、人類は月に到達する。

この五百年間に起こった科学の進歩を「科学革命」と呼ぶ。科学の進歩により得られた富や資源は、更なる研究開発のために投資された。それ以前の支配者は、自分の権力を正当化するために、文学や哲学に投資をした。それ以降の支配者たちは自分たちの権力を守るために、科学研究に投資するようになった。研究の結果発明や発見で得られた利益は、次の研究に再投資された。「研究することは新しい力を産みだす」人々はそう信じていた。それは何故だろうか。その理由は、認知革命までさかのぼると考えられる。人々は、ずっと宇宙を理解しようと思い続けてきたのだ。

科学的なアプローチは、それまでの知的追求と三つの点で異なる。

1.       無知を認める。現在の認識を改めることを厭わない

2.       観察と計算に基づく

3.       得られた新しい能力を、更なる技術開発に転嫁する

「科学革命」とは「知らないことを認める革命」と言ってもよい。人間は真理を持っていないのである。それまでの知的追求では、既に真理を知っている者、「神」がいた。真理に近づくことは、その神に近づくことだった。分からないことがあれば、自分で探求するのではなく、誰かに尋ねればよかった。答えられないことは、必要なないことと言うこと、それ以上追及されなかった。必要のないことは価値を持たないことだった。聖書は全ての疑問に答えていた。それに疑問を唱える者は、社会から抹殺されるか、マホメッドのように次の権威者になるしかなかった。

しかし、現代科学は、「重要な疑問に対しては、答えが見つかっていない」という点からスタートしている。ビッグバンがあると分かっても、物理学者は「何故それが起こったの?」までは説明できない。経済学では、一つの理論が別の理論に、次々と取って代わられている。そして、無知を知ることにより。科学の発展のスピードは増していった。

真理がないなら、神話は成り立たない。ではどうやって、神話なしに、多くの人々を組織化することができたのだろうか。そこには二つのトリックがあった。

1.       一つの理論を、正しいと信じさせること。ナチズムや共産主義が使った方法である。

2.       科学から離れたところに、別に拠り所を作ること。科学が宗教を利用している例がある。

しかし、最近では、「科学」がひとつの「宗教」になっていると言える。宗教というからにはドグマ(教義)がある。科学のドグマというのは何だろうか。

1.       経験的な観察に基づいている。それまでは、先人の経験、観察を信じていた、まずそれを否定し、観察と実験によって確かめる。

2.       観察の結果、法則を見つける。数学的な数式で表す。ニュートンが万物の動きを三つの数式で表したように。物の動きを予想するには、数式に実際の値を当てはめればよい。

数値で表すことが難しい、生物学、経済学、心理学等は、統計的手法が使われるようになった。そもそも、統計的手法は、スコットランドに住む牧師の未亡人の年金額計算から始まった。(スコティッシュ・ウィドウの始まり)そこから、統計学、確率論が生まれた。確率論は人口予測などに使われただけでなく、ダーウィンも進化論で、突然変異の確率を使用している。最近では、物理学などでも使われている。

長い間、学校の授業に数学はなかった。数学が教えられ始めても、統計学、確率論が導入されたのはごく最近になってからだ。今では、殆ど全員が、強制的に統計学、確率論を学ぶ。社会学、経済学、心理学も統計学を使用しており、特に心理学を専攻する学生は、統計学を必須である。多くの人々が科学の詳細を理解していないが、原子爆弾の威力については誰もが知っている。

フランシス・ベーコンは「知識は新しい道具である」、「知は力なり」と言った。彼にとっては、「知識が我々に新しい力を与えてくれるかどうか」だけが重要なのである。つまり、実用的かどうかが、知識の価値基準ということになる。知識と技術は現代では同義語のように使われている。しかし、かつては、ふたつは完全に分かれていた。ベーコンがそのふたつを関連付けた。知識は技術となって初めて実を結ぶのである。これは当時としては革命的なことだった。

そして、十九世紀になり、ふたつは完全に一体となった。最初は、金にならない研究、たとえば宇宙の研究などに、資金を提供する人はいなかった。かつては研究開発部門というものはなく、人々は何十年も、何百年も、同じものを作り続けた。軍事も同じこと。現代では、軍事は最新の先端技術を取り入れているが、かつては軍隊が強大になっても、それが軍事の研究開発には結びつかなかった。十九世紀までは、軍事力の強化は、技術力というよりも、戦術の改善によるものが多かった。

現代では、軍は、研究開発の、大きなスポンサーとなっている。どの軍隊も、戦争の際、「切り札」となる有効な武器を持ちたいと願っているからである。第一次世界大戦中、科学者は、色々な武器の開発に寄与した。更に第二次世界大戦になって、科学者の立場は益々強くなった。敗色が濃くなっても、ドイツは、ミサイル、ジェットエンジンなど、一発逆転のための武器を開発し続けた。その競争の結果、原子爆弾が開発され、日本に降伏を促すために使用された。戦後、攻撃だけではなく、防御のための武器の開発もさかんになり、テロを防ぐための情報処理などが、さかんに研究されている。また近年は、ナノテクノロジーや脳の仕組みの研究も進んでいる。

かつて中国や中東では、技術力に勝る者よりも、戦術に勝るものが覇権を握っていた。無敵を誇ったローマ軍も、戦術で勝っていたと言ってよい。中国で火薬が発見されたが、それは武器ではなく花火に使用され、実際に大砲や銃が登場するまで、実に六百年の時間を要している。当時の為政者は、武器の技術改良に余り興味がなかったのだ。ナポレオンでさえ、ワーテルローの戦いを、旧態依然の武器で戦っていた。

科学革命以前は、多くの人は「進歩」を信じていなかった。「最良の時」は過去にあると考えていた。「失われた楽園」を探すことが、学問の目的であった。「自然に対して人間は何もできない。」、「いつかは救世主が現れ人類を救う。」「それまでは人間は『分』を超えていけない。」、そんな諦めとも、他力本願とも言える態度であった。しかし、科学革命以降、人間はいかに何も知らないかを知り、どうしたらもっと良く知ることができるかを考え始めた。何事も科学で解決できると考えるようになった。フランクリンは、それまで神の怒りと考えられていた雷が、電気であることを証明した。イエス・キリストは、「この世の中には貧者がいる」ことを前提に行動した。彼は、貧困を取り除こうはしていない。現代では、貧困は取り除けるものと考えられている。死に対しても、多くの宗教で、「死は生に意味を与えるもの」として克服することを禁じられていた。しかし、現在では、医学により、死をできるだけ遠ざけようとしている。

シュメール人の王、ギルガメシュは友人の死を見て、自分は死なないでおこうと決心する。そして不死の方法を探して、世界中を旅する。しかし、結局は発見できなかった。「神は人間に死を与えた。より良く生きることを学ばせるために」という教訓があった。しかし、現在、科学者にとって「死」解決すべきひとつのテーマにすぎない。遺伝子操作によって老化を停めることはすでにミミズでは成功している。医学の発達のスピードを考えれば、数十年後には人間に対しても、可能になるかも知れない。リチャード獅子心王は、肩の傷で死んだが、今では軽傷である。十九世紀になっても、手足の切断しか方法がなかったが(それも麻酔なしで)、今ではあらゆる手術が可能になった。それにより寿命が大幅に伸びた。

しかし、人間の寿命の増加に最も寄与したのは、乳児死亡率の低下である。一二五五年から一二八四年にかけて、イングランド王のエドワード一世は、十六人の子供を設けた。国王ということで、当時としては、最高の医療を受けられたと考えられる。十六人目でやっと男の跡継ぎが誕生する。十六人のうち、成人したのは六人だけであった。当時は、子供たちは常に死と隣り合わせであった。現代では、死はそれほどの意味を持たなくなったが。どのような主義主張も、死を前にしては無意味である。

科学は人間の役に立つのだろうか。科学の向こうには、バラ色の未来が待っているのだろうか。しかし、現在、科学の発展に最も関与しているのは、「コスト」である。科学の発展には金がかかる。金持ちの投資があってこそ、科学は発展するのである。ダーウィンにも、同時期に進化論を考えていたウォレスにも、スポンサーがついていた。「象牙の塔」はありえない。科学の発展は、政界、経済界、宗教界などのスポンサーに支えられていたのだ。

大航海時代、王や銀行家は、植民地からの利益を見込んで投資をした。原子力エネルギーも、米ソ対立の頃、国家からの投資によって発展した。目的のない投資はあり得ない。限られた資金の投資には、常に「何が重要か」という問いがあり、科学の発展の方向を決めるのはスポンサーである。「牛の乳の量を増やす研究」、「牛の心理の研究」、どちらにスポンサーがつきやすいだろうか。前者である。しかし、牛の心理が乳の量と密接な関係があると分かれば、後者にスポンサーがつきやすい。科学者が優先順位をつけるのではなく、それを利用する者が、優先順位をつけるのである。遺伝子の研究は、それが治療に役立てられる可能性があるから発展する。そして、コストが正当化される。過去五百年間の科学の発達の原動力は、政界、経済界、宗教界である。特に帝国主義と資本主義が科学の発展を牽引した。

 

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