第十三章:成功の秘訣(歴史にやり直しはない)

 

 

世界貿易、世界帝国、世界宗教が、人々をひとつの文化に導こうとしている、現在、英語が世界語になり、キリスト教、イスラム教などの一神教が世界宗教になった。これは、必然だったのか。残念だが、答えはない。なぜなら、我々は歴史を繰り返せないからである。これから、歴史の特徴を見て行こう。

(一)歴史はさかのぼって説明できない。

歴史は突然転機を迎える。紀元後三百年のローマは、宗教の選択に迫られた。皇帝コンスタンディウスは、他にも候補があったが、キリスト教に決めた。「何故?」その質問には誰も答えられない。歴史において「どのように?」は説明できても、「何故?」は説明できない。その必然、原因を見つけることは難しい。当時生きていた人には「何故?」が分かったかも知れない。しかし、同時に彼らには未来が予想できない。将来については、色々な人が色々な予想をしているが。誰もはっきりと言うことはできない。可能性のないと思われたことが現実になったこともある。キリスト教がローマの国教になることなど、誰も予想していなかった。ボルシェビキは取るに足らないグループに過ぎなかった。マホメッドの二派が世界帝国を作ることなど、誰も考えていなかった。もし、イスラム軍がローマ軍に敗れていたら、イスラム教は歴史の脚注に載るだけの一派に終わったかも知れない。全てが可能というわけではない。無視できないような、地理的、政治的、経済的な力が働くこともある。運命主義、必然主義は魅力的ではあるが、現在の体制は、「偶然の産物」と言ってよい。

歴史はカオスによって支配されていると言ってもよい。カオスの中にも秩序があるかもしれない。確かに、天気予報などは、情報を集め、分析することにより、予測の精度を上げることができる。しかし、予測により結果が左右されるものがある。革命は予測できない。もし予測出来たら、革命は起きない。歴史はまさに、予測できない、出来たとしてもそれによって予測が変化するカオスである。地平線までは予測できるが、その向こうがどうなっているのか、誰にも分からない。

(二)歴史は人間を顧みない。

歴史は人間のために動いているのではない。歴史の変化の後。人間にとってよくなるとは限らない。そもそも、人間にとって、何が良いのか、悪いのか、定義できない。文化により、「良いもの」、「悪いもの」の定義は異なる。勝者の文化が正しいとも限らない。ある科学者は、「文化は人間の脳に巣食う寄生虫のようなもの」だと言っている。宗教も同じ、人間の心の中に巣食い、他人を感染させ、人間を搾取し、最後には宿主を殺してしまう、正にウィルスか寄生虫。例えば、ナショナリズム、国家主義という宗教は、十九世紀から二十世紀の人類の心に巣食って、人類を数々の戦争に導いた。なぜ、宿主に害を与えるような寄生虫、病気が放っておかれ、広まってゆくのか。社会学者は「ギャンブル依存の論理」で説明している。例えば、軍拡競争、構造が変化し、大量の金が使われているのが分かっても、もう手を引けないようになってしまっているのだ。

歴史は転機を迎えるたびに、別の方向に進んでいく。一五〇〇年ごろ、ヨーロッパの片隅で起こった「科学革命」が、それからの歴史を決定した。今となっては、それが起こらなかった場合の帰結は、想像できない。

 

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