第十一章:世界帝国の夢(植民地支配の功罪は)

 

 

ローマ人はしばしば戦闘に敗れた。どの帝国も、常に勝ち続けるは無理である。その中でもローマ人を苦しめたのが、現在のスペインに住んでいたヌマンティア人であった。ローマは将軍スキピオに命じて、ヌマンティアを討たせる。兵を失いたくなかったスキピオは、ヌマンティアを兵糧攻めにする。一年後、ヌマンティアの人々は、町に火を放ち、自殺した。スペインでは、現在もヌマンティア人は英雄視されている。しかし、現在のスペイン人と、ヌマンティア人は何の関係もない。別の言語を話す、別の民族であった。むしろ、現在のスペイン人は、ローマ人の末裔と言える。ヌマンティア人は、ローマ人の創作かもしれない。ともかく、多くの民族が帝国に飲み込まれ消えて行った。帝国の歴史は、そんな消え去った民族の歴史と呼べるかもしれない。

「帝国」には二つの特徴がある。政治体制としては、「異なる文化を持った複数の民族を支配していること」、地理的には、「国境が確定していないこと」である。今の英国は帝国ではない。しかし百年前は確かに帝国であった。以上の二つの特性において、帝国は、多くの民族、多くの宗教を一堂に治めることができる。大きさは関係ないし、常に征服によって作られたとは限らない。民族が統一され、民族の数が減り、ひとつひとつの民族の人口が増えると、帝国の規模も大きくなった。

現在、「帝国」、「帝国主義」は余りいい意味で使われていない。「民族には自決する権利がある」というのが、現在では一般的な考え方である。しかし、過去二千年において、帝国は最も一般的な国家の形態であり、安定した国家の形態でもあった。帝国はしばしば、外部からの侵略や、支配層の内部抗争で崩壊したが、住民の反乱で崩れたという例はあまりない。人々はある程度、帝国の支配に満足していたのである。ローマ帝国の崩壊が、ゲルマン民族の移動のせいだと言われるが、崩壊時にはゲルマンの個々の民族は、既にそのアイデンティティーを失っていた。帝国の崩壊が、諸民族の解放、自由につながるとは限らない。

中東では、次々と新たな帝国が、そこに住んでいる人々を収めていた。帝国の誕生と維持の際、暴力が使われ、血に塗られた歴史があることも多い。しかし、征服した土地からの富を使って、学問や技術の発達が図られたという一面もある。とくに言語が統一されたこと、多くの国王が芸術家たちのパトロンになったことで、経済や文化の発達に寄与した面も大きい。

最初の帝国は、紀元前二二五〇年にメソポタミアで作られた、アカディア帝国である。当時は「全世界」を治めていたことになる。その後、アッシリア、バビロン、ヒッタイトなどの帝国が続く。アッシリアのキュロス大王は、「全人民のために統治している」と言ってはばからなかった。彼は、ユダヤ人に帰国を許し、もはや異国人も含めた、全民族の王となった。それまで、「敵」として捉えていた異民族を、「兄弟」、「家族」と捉えた彼は、革新者だと言える。その考えは、アレキサンダー大王、ローマ帝国、しいては現代社会まで受け継がれている。

中央アメリカ、アンデス、中国でも、同じような考えが生まれた。中国では、支配権は天から授かったものであると考えられた。秦の始皇帝に始まった王朝だが、中国が統一された時代こそ、最高の時代と考えられるようになった。「世界帝国」とも言える大きな帝国が出来ると、小さな文化は、大きな文化に、次第に飲み込まれていく。そして、国内が均質化、統一化され、それにつれて支配も容易になるという循環が見られた。

帝国は、自分の支配を正当化するために、様々なことを行った。そのために「文化」も作った。中国では「皇帝は人民を教育するために、野蛮人に文明を与えるために存在する」という「皇帝の使命」が信じられた。同じく、ローマ帝国でも、「野蛮人を啓蒙する」という使命が叫ばれた。イスラム国では、「アラーの神の教えを伝える」という使命が。このように、帝国は、ある「使命」を背負っているといわれることが多い。

帝国の文化も、支配階級の文化だけでなく、支配される民族の文化も取り入れられることもあった。しかし、何時の時代も、異民族の文化を取り入れることに難色を示す人は多く、少数民族は迫害されるか、差別されることも多かった。大英帝国時代、英国の大学を出て、弁護士になったガンジーであるが、南アフリカでは一等車から放り出される。ローマ帝国は、外国出身の元老院議員を認めてはいた。しかし、イベリア半島出身の皇帝が誕生するまでには、数百年かかった。七世紀、イスラム教が生まれる。エジプト人、シリア人などがイスラム教に改宗し、その結果、本来は「アラビア半島の住民」という意味の「アラブ人」という名称が、エジプト人や、シリア人にも使われるようになる。そして、イスラム文化は、他民族に受け入れられることにより、より発達する。

近世では、ヨーロッパ人が、地球の大部分を支配する。植民地化された国の人々は、ヨーロッパ人から、自由主義、資本主義、共産主義、女性主義、国粋主義など、様々なイデオロギーを学んだ。第二次世界大戦後、これらの植民地化された国々が独立するとき、まさに彼らがヨーロッパ人から学んだこれらのイデオロギーが使われた。

歴史を「良い者」、「悪い者」に分け、帝国主義を「悪い者」にしたがる人は沢山いる。しかし、現代社会での基礎は、その帝国主義によって作られたものである。「支配された人々の本来の文化に戻ることが正しい道だ」というのは、ナイーブすぎる考え方である。インド人が英国に対して抱く感情は、「好意」と「嫌悪」の同居したものである。英国はインドを植民地化し、インドの人々に自由や権利を与えなかった。しかし、インド人は、英国の「置き土産」に感謝している面もある。それまでバラバラであった国々をまとめ、「インド」という一つの国と、そのインフラを作ったのは、まさに英国人であるから。英国人によって、民主主義が持ち込まれ、英語という共通語ができた。(クリケットが国技になり、茶を飲む習慣ももたらされたように。)植民地化されていなければ、現在の「インド」はないのである。帝国主義を否定する人もいる。しかし、古いものは、ひょっとしたら、新しいものより、もっと残酷かも知れない。ムガール帝国のサルタンの支配が続いていたら、現在のインド人はより幸せだったろうか。どちらが良くて、どちらが悪いと考え始めると、ジレンマに陥ってしまう。

過去二千五百年の間、帝国が地球を支配していた。しかし、二十世紀に入ると、「一つの民族は一つの国家を持つべきだ」という考えが主流となる。しかし、二十一世紀になり、人々は、地球温暖化などの、もはや一国では解決できない問題に直面する。再び、世界を統一する「世界政府」のようなものが必要になってくるかも知れない。帝国の例を見ても、「複数の民族がひとつの国家を構成する」ことは可能なのであるから、実現の可能性がないとは言えない。

 

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