第九章;歴史の矢(歴史は後戻りできない)

 

 

農業革命以来、人類の社会は大きく複雑になり、守るべき規則も膨大で複雑になってきた。「神話」は人々を極めて幼い時から縛り、それはもう「第二の本能」とも言えるようになった。この「作られた本能」は「文化」と呼ばれる。「エジプト人はいつもエジプト人のように振舞う」と言われる。文化は常に機能し、永続するものと、二十世紀前半までは信じられていた。

今日、文化は、外部からの影響だけでなく、内部からも変化していくと考えられている。文化は常に矛盾を孕んでいる。それを修正するために、常に変化し続けると考えられている。その矛盾の一つの例は、中世の騎士である。教会からは、「暴力、虚栄、贅沢は敵」と教えられ、一方では「名誉や主君のために戦え」と教えられている。このはけ口となったのが十字軍で、騎士たちは信仰と忠誠心を同時に満たすことができた。十字軍はひとつ修正行為と考えられる。

もう一つの例は、自由と平等の両立の矛盾である。自由競争を許せば貧富の差が産まれる。平等は自由を制限して初めて生まれるとも考えられる。その矛盾は、ディケンズやソルジェニーツィンの文学に浮き彫りにされている。その結果、革命などの社会変革が起きた。文化における矛盾は、文化が変革していく起爆剤、原動力となったのである。その変革がなければ、文化はとっくの昔に崩壊していたであろう。そこに法則があるだけで、ゴールはない。

一般的に、小さな文化は、大きな文化に飲み込まれていく。しかし、モンゴル帝国のような巨大な文化が終焉を向かえたり、ラテン語文化が色々な国の文化に分かれたりしたこともあった。しかし、全体的には、文化は統合に向かっていると言ってよい。タスマニアは一万二千年前に外の世界と切り離された。しかし、十九世紀にヨーロッパ人に発見されるやいなや、その文化に一飲みにされる。かつては、九十パーセントの人がユーラシアに住んでいた。残りの十パーセントの人、アメリカ大陸、アフリカ西海岸、オーストラリアに住んでいた人たちは「別世界」の住人と言えた。しかし、一度ヨーロッパ人に発見されると、あっと言う間にその文化に飲み込まれた。現代では、ほぼ全ての国が、多かれ少なかれ同じような経済、司法のシステムを持っている。また戦争になっても、同じような武器で戦っている。

根源的な文化は今となっては存在しないと言ってよい。イタリア料理のトマト味のパスタ、アイルランド料理のジャガイモ、アルゼンチンのステーキ、それらの食材は、元々はその国に存在しなかった。トマト、ジャガイモ、チリなどは皆、アメリカからもたらされたものである。馬に乗るインディアン、しかし、馬は元々米大陸にはいなかった。

帝国主義や貿易の拡大による、世界のグローバル化を通じて、数世紀の間に、アフリカの香料がインドに渡るようになった。その歴史は、紀元前千年にさかのぼることができる。動物は「自分たち」、「それ以外」を分ける習性があるが、「それ以外」との共同作業が可能なのは、ホモサピエンスだけである。エジプトの王は「自分たちの国」、「それ以外の野蛮人」と線を引いていた。最初エジプト王の定めた秩序は「自分たちの国」にしか通用しなかった。しかし、徐々に「それ以外」が姿を消し、同じ秩序が通用するようになる。その新しい秩序とは、「金の秩序」、「帝国の秩序」、「宗教の秩序」と言ったものである。「貿易業者」、「征服者」、「聖職者」が、秩序の壁を突き破ったのである。

 

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