第五章: 歴史始まって以来の欺瞞(農業は人類に幸せをもたらしたか)

 

 

二百五十万年もの間、ホモサピエンスの先祖は、「自分たちがコントロールできない」動植物と一緒に生きていた。しかし、約一万年前、人類は「動植物をコントロールする」ことを始める。そして、それは人類の歴史の中に、ひとつの革命をもたらす。一万一千五百年前に、トルコで、麦の栽培とヤギの飼育が始まった。それに続いて、豆、オリーブ、ぶどうなどが、次々に栽培されていく。現代の人類は、カロリーの九十パーセントを、これらの「栽培された作物」から得ている。この割合は、二千年間、余り変化していない。農業革命は、全世界で、同時多発的に起こったようである。中近東、中国、中央アメリカなどで、その土地に適した作物の栽培が開始された。農業によって、人類は、狩猟採集経済の不安定さ、危険から、逃れることができたのだ。

しかし、狩猟採集民から農民になっても、決して暮らしが楽になったというわけではなかった。安定して食料を得られるようになったが、時間がなくなり、食料の質は落ちた。また、農業は、人口の爆発と、貧富の差、エリートの誕生という結果をもたらした。人々は、小麦、米、ジャガイモなどの奴隷になったと言っても良い。特に小麦は中近東に生えていたが、その栽培面積は現在の英国の十倍になった。実際、小麦は手のかかる作物だった。農民たちは、小麦を世話するためだけに生きるようになった。人々は肉体的に負担の多い労働を、長時間続けることにより、小麦を育てた。同時に、その作物に依存するようになった。農民たちは土地を必要とした。その土地が攻められると、守たちに戦わざるを得なかった。考古学者によると、当時の農民男性の約二十五パーセントが、戦いで死んだと言われている。その割合は、ニューギニアやエクアドルでは、もっと高くなっている。それらの戦いを収めるために、都市、支配体制が確立するようになる。小麦の栽培により、単位面積当たり、養える人間の数は飛躍的増えた。農業革命によりより多くの集団が養えるようになったが、一人当たりの生活の質は低下した。人類は、農業革命を自ら選んだわけではない。罠に落ちたのだ。農業革命は、急に起こったわけではない。人類が自分でも気づかないうちに、それは徐々に進んでいった。

それまでは、生活環境が良い時には沢山の子どもを作り、悪くなると子供の数が減るという、生理的なコントロールが働いていた。女性は三年間か四年間に一度妊娠していた。幼い子供が集団の中にいるということは、極めて危険なことだった。したがって、授乳中は妊娠しないというメカニズムがあった。一万八千年前、最後の氷河期が終わり、中東は、小麦の成長に適した気候になった。人々は野生の小麦を採取し、部落に持ち帰った。そのときこぼれた小麦から芽が出る。同時に人々は焼き畑を学ぶ。焼かれた土地は、一段と小麦の成長に適していた。人々は小麦の生えるところにだんだん長く留まるようになり、ついにはそこに定住する。そして、採集することから、栽培することへ、生活の糧を変化させていく。作物の世話に時間を取られるにつれ、狩猟採集を行う時間が、少なくなっていく。

人々の定住、農民化により、町が発生し、約一万年前に、最古の町、イェリコが出来た。人々は小麦を柔らかく煮ることにより粥を作り、それを赤ん坊に与えるようになった。それにより、女性の授乳期間が短くなり、毎年子供を産めるようになった。その結果、人口はどんどん増えた。しかし、乳児の死亡率は上がった。また、食物の偏りにより、人々の免疫力が落ち、病気に罹りやすくなった。また、ひとつの作物に依存することにより、不作のときの打撃も大きかった。さらに、その作物を狙う盗賊も出現した。とは言うものの、人々は、もっと働けば、もっと収穫があるという思いだけで、懸命に働き続けた。そして、その結果、自分たちの生活がどんどんと劣悪になることに、気づいていなかった。これが「農業革命の罠」である。たとえそれに気付いたとしても、人口が増えすぎて、狩猟採集社会には戻れない。

これは、幸福になれるという観念に囚われて働き続ける現代人と同じだ。大学を出て有名企業に就職するも、途中で嫌になる。しかし、そこで辞められるだろうか。結局は続けるしかない。贅沢はすぐ普通になり、さらなる贅沢がしたくなる。Eメールが発明された。でも、Eメールで時間の余裕が出来ただろうか。人々は考えないでEメールを打つようになり、膨大なEメールの送受信で、かえって時間を取られるようになった。このように、中東、中央アメリカで始まった農業は、瞬く間に世界に広がっていった。本来、狩猟採集に使っていた土地は、どんどん農地に変わっていった。誰も、その帰結がどうなるのか、予想できないまま突き進んだ。

最終的に、農業革命は決定的な計算違いであることが分かったが、もう後戻りはできなくなっていた。その頃、世界各地にストーンヘンジのような、大きな建造物が作られるようになった。それがどのようなきっかけで作られたのか知る由はないが、農業革命には、人々の共同作業を容易にする、宗教のような働きもあったのではないかと、想像されている。

農業革命と時を同じくして、羊、ヤギ、豚、鶏などの家畜化も進んだ。人々は先ず、選択的な狩猟を始めた。若い羊は残すとか、扱いやすい個体を残すとか。また、動物の群れを、天敵に襲われにくい場所に誘導するなどして、群れを保護することも行われた。結果的に、おとなしい、扱いやすい羊だけが残った。家畜化された動物は、人類に食料と労働力を提供することになる。そして、そのうちに牧畜を専門にする者が現れた。

地球上には、羊、牛、鶏が爆発的に増えたが、彼らが幸運な種であるとは言い難い。むしろ、彼らは、残酷な目に遭うために生まれてきたと言ってよい。多くの食用の家畜は、数か月、数年で殺される。おとなしいラクダや馬を作るために交配され、去勢が行われる。ニューギニアでは豚が逃げ出さないように、鼻を切り落としたり、目を潰したりしている。乳牛は、ミルクを採るために子供を産まねばならない。子供を産ませ、それを殺してまた妊娠させる。それが繰り返されている。農業革命は、少数の動物が種を増やすことができたが、それらの動物たちにとっても、苦しみを伴う、最悪の帰結だった。

 

<次へ> <戻る>