第四章: ノアの洪水(最大の破壊者、それは人類)

 

 

認知革命以前は、アフリカ大陸とユーラシア大陸のみに、ホモサピエンスが住んでいた。動物が海を越えることは極めて難しく、マダガスカル、オーストラリアなどで、動植物は独自の進化を遂げていた。しかし、ホモサピエンスはこの常識を打ち破る。認知革命の後、ホモサピエンスは移動を始め、四万五千年前には、オーストラリアに到達した。ホモサピエンスは進化を待つのではなく、技術で海を克服したのだ。北オーストラリアは実に二百キロ以上も、近くの島から離れていた。それは、コロンブスの米大陸発見、月面着陸に匹敵する快挙であった。

ホモサピエンスは、単にオーストラリアに到達しただけでなく、そこで生態系の頂点に立ち、生態系そのもの変えてしまった。ホモサピエンスが到達して数千年の間に、それまでオーストラリアに住んでいた大型哺乳類が絶滅してしまった。それを気候変動のせいだと言う人もいるが、それまでの気候変動を生き抜いてきた種さえも絶滅した。また、海の中で生きている種は絶滅していない。と言うことは、この多くの種の絶滅は、ホモサピエンスによるもと考えるのが自然であろう。このような例は他にもある。それまで広範囲に生息していたマンモス象は、約四千年前に、人類によって絶滅させられている。

では、石器しか持たない当時のホモサピエンスが、どうのようにして大型哺乳類を絶滅に追いやったのだろう。ひとつは、それらの大型哺乳類の出生率が低かったと考えられる。彼らは、ホモサピエンスに殺される分を、補えなかったのだ。もう一つの点は、ホモサピエンスが火を使用したことである。彼らは、森林を焼きはらい、そこに住む動物を絶滅に至らしめた。ホモサピエンスの上陸後、オーストラリアではユーカリの木が増えた。ユーカリの木は、火に強かったからである。

一万五千年前、ホモサピエンスは米大陸に到達した。そのためには、シベリアからベーリング海峡を抜け、アラスカに渡らなければならなかった。いずれも、マイナス五十度にもなる、極寒の地である。それを可能にしたのは、針の発明である。それにより、ホモサピエンスは、毛皮を縫い合わせ、防寒用の服と靴を作ることができた。しかし、なぜ、ホモサピエンスは、シベリアなどの寒い地域に進出したのか。当時、シベリアやアラスカは、動物の宝庫であったからだ。特にマンモスは、「歩くスーパーマーケット」と呼んでいいくらい、人類が生きていくための多くの物を提供した。このようにして、ホモサピエンスは、一万六千年前にアラスカに、一万四千年前には北米大陸に進出した。一万二千年前には、ホモサピエンスは南米の最南端に達して、人類が、南北米大陸に行き渡った。

その結果、南北米大陸では、大型の哺乳類、爬虫類が絶滅した。米大陸の動物や植物にとって、人類は最大の敵であり、破壊者であった。農業革命によって、その傾向に拍車がかかった。人類が定住するや否や、そこに住む大型哺乳類が絶滅する。例えば、マダガスカル、ソロモン諸島などでも、人類が定住した瞬間に、動物が消えている。その唯一の例外がガラパゴス諸島であろう。産業革命後、人類は自然を破壊したと言われるが、狩猟採集民の頃、農業革命の頃に、既に人類は自然を破壊しまくっていたのだ。あたかも、残る生物は人類だけだと思わせる勢いで。それは「ノアの洪水」に匹敵すると言ってもよい。

 

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