第三章: アダムとイヴの日々の生活(狩猟採集生活も悪くない)

 

 

我々の祖先は、元々、狩猟採集生活を営んでいた。その後、農業革命によって、その後の現代人の社会と観念が出来上がった。しかし、現代においても、我々の脳の中には狩猟採集生活が刷り込まれている。どんなことを刷り込まれていて、それが現代社会でどんな葛藤を引き起こしているのだろうか。

先ず一つ目は、どうして人間は太るのかと言うこと。人間は腹が減ってなくても、食べてしまう。それは、三万年前の狩猟採集時代の刷り込みである。ある時に食べられるだけ食べてしまわないと、次は何時食べられるか、保証がなかったからである。食欲の遺伝子はその存在が認められている。二つ目は「コミューン」の遺伝子である。昔は一夫一婦制ではなく、集団生活をするコミューンの中で男女が交わり、できた子供もコミューンが育てていたと考える人がいる。その遺伝子があることで、現在の離婚や、親子の対立を説明できると説明される。一方、一夫一婦制と、小家族制が、人類の本来の姿であると考える人もいる。地球上のどの地域でも一夫一婦制が取り入れられていることが、その証拠とされている。どちらが正しいか、更に詳しく見ていく。

石器時代の生活の資料はきわめて乏しい。殆ど何も残っていない。木は残らないためだ。しかし、当時は、基本的に人々は多くの物を持っていなかったとも考えられる。当時の人々は、移動しながら暮らしていた。そのためには身軽でなければならない。現在も残る狩猟採集生活を送る部族から、当時の暮らしぶりを推測できるかもしれない。しかし、現在では、その部族は多少也と外部からの影響を受けているし、彼らは農業に全く適さない土地に住んでいる。また、部族によって生活様式が違うので、彼らから推測することは難しい。認知革命により、言語、習慣、宗教の多様性が増したのか、はたまた、収束する方向で動いたのかも、よく分かっていない。

農業革命以前、狩猟採集生活を送っていた時代の、人々の生活をもう少し詳しく探っていこう。人々は、十数人から、最大でも三百人くらいの集団で暮らしていたと考えられる。当時、犬は既に家畜として飼われており、猟などに使われ、人間と犬は互いに依存関係を築いていたと考えられる。人々は集団で生活し、共同作業をしており、プライバシーはほとんどなかったようだ。また、隣の集団とは、時には敵対し、時には協力していた。しかし、他の集団との接触は、最小限であったと考えられる。と言うのも、当時、人々はまだ定住していなかったからである。人々は食料を求めて移動した。その移動の結果、ホモサピエンスは東アフリカから脱出し、全世界に広がったのだ。ホモサピエンスは四万五千年前に、インドネシアの海岸に辿り着き、そこから、さらにオーストラリアにも渡ったのだった。

同時に、人々は衣服をまとい始めた。そのことにより、より寒い地域にも住むことが可能になった。人々は食料と共に、知識も蓄えた。どこにどんな動物が住んでいるのか、どこにどんな植物が生えているのか、そんな生きていくために情報がデータベースとして蓄積されていった。農業革命以来、脳のサイズは小さくなってきている。狩猟採集生活のときに浸かっていた頭脳も、農業が始まってからは、それほど使わなくてよくなったからかも知れない。

狩猟採集民は、鋭い観察力と、優れた身体能力を持っていた。三日に一度、狩りをすればよかったので、一週間当たりの労働時間は三十五時間から四十時間であったと考えられ。また、その他の家事も少なった。この時代の人間は、その後の人間より、楽で、快適な生活を送っていたとも想像される。化石を見ると、当時の人間はバランスの良い栄養を得ており、平均寿命は三十から四十年だったと考えられる、しかも、それは高い乳児死亡率に起因しているので、六十歳くらいまで生きる人もいたようである。その後の農耕民は、特定の食物に依存することになり、ビタミンやミネラルの摂取が不足している。また、特定の食物に頼っていると、それが採れないと飢餓に落ちってしまう。また、栄養のバランスの欠如や、家畜からの感染のために、伝染病に罹る確率も、狩猟採集民よりは高くなった。

ともかく狩猟採集民は、短い労働時間、バランスのよい食事で、人類史上最初の「福祉」というものを享受していたようだ。しかし、労働中に事故に遭う確率も高く、移動生活ゆえに、動けなくなった病人や老人は放置されるか殺されていたと考えられる。また、「いけにえ」によって子供が殺されることもあった。しかし、化石を見ると、成人の間での暴力は意外に少なかったようだ。しかし、農業革命による定住の促進により、狩猟採集民は、次第に逃げ、隠れる暮らしを送るようになる。

狩猟採集民の精神生活、宗教について知る術はない。しかし、多くの研究者が、彼らがアニミズムを信じていたという意見が出されている。つまり、木やその他の自然物に、精霊が宿ると考えられていた可能性が高い。アニミズムでは、人間とその他の動物や植物の間に境界や上下関係はない。そのアニミズムが、後の宗教の基になったと考えられている。これらはあくまで憶測の域を出ない。

それでは、狩猟採集民の政治的、社会的な要素はどんなものだったのだろう。これもはっきりとは分からない。私有財産の有無、大家族制なのか小家族制なのかも。グループによっても違っただろう。今から三万年前の、マンモスの狩猟民の墓が発見された。同じ地域で発見された墓で、副葬品が異なる。このことから、上下関係のある社会であったことが想像できる。また、少年少女の墓にも、多くの副葬品があるものがある。このことから、生まれたときから、聖なる者としてあがめられていたか、あるいは生贄になった可能性がある。いずれにせよ、当時既に、政治的、社会的な行動が芽生えていたことが分かる。

狩猟採集民は平和に暮らしていたのだろうか。それとも、戦いに明け暮れていたのだろうか。現在発見されているドナウタール人の骨を見ると、およそ四点五パーセントが、外部からの暴力で死んでいる。二十世紀には、世界大戦があったとは言え、五パーセントの人が暴力で殺されている。現在南スーダンでは四十パーセントの人が戦争で亡くなっていることを考えれば、ドナウタール人の暴力による死亡率はそれほど高いとは言えない。しかし、部族が皆殺しになっていたケースもあり、戦いを好むかどうかは、部族ごとに違っていたと思われる。

ホモサピエンスがネアンデルタール人と遭遇した過程は予測できる。しかし、当時のホモサピエンス間の関係は、いかなる科学をもってしても、よく分かっていない。それは沈黙のカーテンとも呼べるものであり、その向こうを見ることはできない。しかし、その六万年から七万年の出来事を無視することはできない。その間に、現在の人類の基礎が作られ、ホモサピエンスは地球上のいたる所に到達した。そして、地球の環境をも変化させたのだ。

 

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