第二章:認識の木(仮定の話ができる能力)

 

 

十万年前のホモサピエンスは、他のホモ属に比べて、特に優れたところがなかった。最初は、体格に劣るネアンデルタール人に勝てなかった。しかし、七万年前から、ホモサピエンスが優勢になった。そこには、「認知革命」があったことが考えられる。その認知革命が、いかなる理由で起こったかは分からない。しかし、認知革命によって、ホモサピエンスは「言語」という武器を獲得した。では、ホモサピエンスの言語は、どこが新しかったのか。他の動物にもコミュニケーションの手段はある。しかし、フレキシビリティと言う点で、ホモサピエンスの言語は、他の動物と一線を画している。それは限られた音で、ほぼ無限の意味を表すことができるということ。「ゴシップ」、「おしゃべり」の能力と言ってもよい。その結果、格段に多くの者の間で、情報が共有できるようになった。

チンパンジーにも集団があり、上下関係がある。「ボス」は必ずしも力の強い者とは限らない。そして、そのボスはネットワークを持っていて、集団を統制している。しかし、その集団に属する個体の数は限られてくる。チンパンジーの場合、二十匹から五十匹が限界で、それ以上になると、反目し、離反する者が現れる。かつてのホモサピエンスも同じだった。しかし、認識革命以降、ホモサピエンスはもっと大きな集団を許容できるようになる。それは、百五十人くらいであろうか。この百五十人という数は、現在でも余り変わってはいない。軍隊でも、会社でも、一つの集団の限界は百五十人と言われている。二十から五十という限界を越えられた秘密は、「仮定」の話が出来ることになったことである。実際には見聞きすることのできない「神話」について話すことが可能になった。そのことにより、共通の「神話」信じているより多くの人たちを統率することが可能になったのである。共通の「神話」を信じている者は、互いに理解できる。現在の宗教、会社などは、人間の心にのみ存在するその「神話」の上に成り立っている。

例えば「プジョー」という会社がある。そこでは、二十万人の社員が、互いに顔を合わせることなく、共通の目的に向かって働いている。プジョーの本体とは、何なのか。プジョーは、皆それがあると思っているから存在する、幻想に過ぎないと言ってもいい。プジョーは「株式会社」という、人間が作り出した幻影の上に成り立っているにすぎない。

十三世紀頃は、起業家はすべて個人で、個人が全ての責任を負っていた。従って、多くの人が、そのリスクのために、起業に踏み込めないでいた。そのとき、「有限会社」というシステムを考え付いた者がいた。そして、いつしか、それが時代の主流になってくる。プジョーは、一八九六年に生まれた、世界初の有限会社なのである。それにより、たとえ会社が損をしても、個人が一人でその損失を背負うとことがなくなった。

カトリックの司祭は、「パンがキリストの肉であり、葡萄酒がキリストの血である」という幻想を信者に抱かせる。法律も同じである。ひとたび、法律にサインがされれば、人々はそれを信じ、それに従う。現代社会は、「神話」、「思い込み」。「幻想」から成り立っているのである。そして、それはホモサピエンスが、「架空の会話」、「作り話」の能力を獲得したことから始まる。そして、全ての人が、その「作り話」を信じるのを止めたら、現代社会は一瞬にして消えてしまう。「フィクションに基づく社会構造」の中で我々は生きている。チンパンジーでも嘘はつける。しかし、ホモサピエンスはそれを越え、「嘘によって作られた現実」を作ってしまった。百万長者は金の存在を信じ、人権論者は人権の存在を信じている。しかし、「金」、「人権」そのものが、我々の作った幻想なのである。 

ホモサピエンスは、言語によって「現実」を作る能力を持っている。しかし、その「現実」、「神話」がコロッと変わることもある。例えばフランス革命。革命によって、「王権神授説」という神話が、「民主主義」という神話に置き変わった。それは、追い越しの出来る車線を走る車のようなものである。他の動物は、変化を遂げるために、突然変異と環境の変化を待たねばならないが、ホモサピエンスは、自分でその変化を起こすことができる。初期のホモサピエンスも最初は他の動物と同じだったが、認知革命をきっかけに自分で変わっていける能力を身に着けた。ホモサピエンスは、遺伝子の変化などを待つ必要がなく、数十年単位で根本的な変化を遂げることができるようになった。

ホモサピエンスが、ネアンデルタール人に勝った理由は何だろう。ニューギニアに住むホモサピエンスは、特に硬いガラス質の火山岩からできた道具を使っていた。しかし、その石は、四百キロも離れた島で採れたものだった。つまり、当時、ホモサピエンスは、交易をしていた。そこで交易されたものは、物だけではない。情報も伝達されていたはずだ。ホモサピエンスは、共同作業の出来る、組織化でいる人数が、ネアンデルタール人に比べて格段に多かった。少数で立ち向かうネアンデルタール人には、もう勝ち目がなかったのだ。

多数の人々による行動様式が「文化」と呼ばれるようになり、絶え間のない文化の変化が「歴史」と呼ばれるようになる。認知革命の後、ホモサピエンスの変化は、生物学ではなく、歴史学で解明されるようになる。しかし、ホモサピエンスが、完全に生物学的な法則から解放されたというわけではない。ホモサピエンスが他の動物と一線を画す特徴として、「道具を使う」という点を挙げる人もいるが、他にも道具を使う動物はいる。やはり、最大の特徴は、認知革命により、何千人という社会を作れるようになったことを、挙げざるを得ないだろう。

生物学と歴史の関係だが、まず、生物学が外枠にあり、その内側に歴史があると言える。しかし、ホモサピエンスはその言語を使って、多くのことを親から子へと受け継ぐことができた。三万年前のホモサピエンスが彫ったライオン像を見ると、現代の人間と、基本的に全てが同じような印象を受ける。当時、ホモサピエンス、我々の祖先はどんな生活をしていたのだろうか。

 

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