外国人のいない京都

 

今回も、日本滞在は「きつねうどん」で締めくくる。

 

荷造りを済ませて、九時には眠る。銭湯好きの僕だが、今回は夜いつも疲れて銭湯へ行く気力もなく、シャワーを浴びて眠るだけだった。

 翌朝七時前、僕は迎えに来た「MKタクシー関空シャトル便」で京都を発った。生母が玄関で手を振っている。

今回京都の街を自転車で走っていて思ったこと、それはヨーロッパ人、アメリカ人の観光客が少ないということだった。やはり、原発の放射能問題で、日本に来る観光客は激減しているようだ。一度だけ銭湯「船岡温泉」へ行ったときにも珍しく外人に会わなかった。また「シャトル便」の乗客も今日は日本人だけ。こんなことは初めてだ。

 身体は疲れていて何となく重いが、その分、飛行機の中でよく眠れるというものだ。関空には九時に到着。復路はエールフランスのパリ経由。チェックインは全然待たないであっさりと終わった。うどん屋へ行き、恒例の熱燗ときつねうどんで日本での最後の食事をする。またミドリに日本からの最後の絵葉書書いて投函する。

 昨夜の父との別れのシーンが思い出されて、心は何となく沈んでいる。

「お父ちゃんとはこれだけ濃密な時間を過ごしたのだから、もう死に目に会えなくてもええか。」

という気持ちにもなる。

誰かと話したい。僕は携帯からサクラに電話をした。

「昨日、お父ちゃんと分かれるときは、本当に何と言ってよいのか分からんかった。」

と僕は彼女に言った。

「それで何と言ったん。」

「『おやすみ』とだけ・・・」

サクラからの返事が数秒遅れる。僕に何と言ってよいのか分からないのか。あるいは涙をこらえているのか。でも、彼女と話せてよかった。

CDプレーヤーが壊れていたので、免税店で買おうとするが、もうこの時代DVDプレーヤーしか売っていない。(もちろんそれでCDも聴けるのだが。)それを買って早速試してみるが、音が出ない。店で交換してもらう。壊れていたとのこと。

「お客さん、早速チェックしていただいて、助かりました。」

と店員。買ったものはその場でチェックというのが、僕が仕事から学んだ教訓なのだ。それがたまに役に立つ。

パリ行きの飛行機は、往路のアムステルダムからの飛行機と正反対、エールフランスに気の毒なほどガラガラだった。三百人乗りのボーイング七七七に百人も乗っていない。三席独占で手すりを上げてフラットベッドを作り、そこで眠れるというまことに結構な環境。僕はD君からもらった睡眠薬を飲み、機内食も食べず、パリまでの十一時間、ひたすら眠った。体もそうだが、何より心が疲れていた。

 

シャルルドゴール空港に集う「スッチー」のお姉さんたち。

 

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