おやすみ
今日は父の病室がとても賑やかだった。
病室に戻る。夕方に継母が帰る。明日は早朝に京都を発つので、継母とはこれでしばらく会えない。
「お母さん、かき混ぜるだけかき混ぜてまた急にいなくなってごめん。」
と継母に言う。
「でも、一週間でもあんたがいてくれて本当に助かったわ。」
と継母は言う。その言葉は嬉しい。
継母が帰り父と僕がふたりきりになったとき、
「おまえと会うのもこれが最後や。」
と父が言った。
「かも知れんし、そうでないも知れん。」
と僕も正直に言う。僕は今回、できるだけ病状や今後の見通しなど、父に正直に伝えるようにしていた。慰めや嘘や希望的観測を言わないで、全て正直に言うほうが、父も嬉しいだろうと思って。自分が父の立場なら、そうしてほしいもの。従って、父には、一時危ない状態にあったこと、これからも長いリハビリの期間があって、そう簡単には家に帰れないことも伝えていた。
「今年の誕生日でもう九十一や。長生きしすぎた。」
と父は言う。
「生きてと辛いこともあるやろうけど、これは運命や。自分で決められへん。生きている間は頑張らなしゃあないやん。」
と僕は言う。
「おまえがおらんようになると寂しいわ。」
と父は言った。その言葉が胸に刺さる。しかし、明日飛行機に乗る以外、僕には選択肢はないのだ。夕食後、父の部屋を出るときはさすがに涙が出た。何といってよいか分からない。父の手を握り、
「おやすみ。」
とだけ言って僕は部屋を出た。廊下ですれ違った看護婦に、
「お世話になりました。」
と言ってエレベーターに乗る。
生母の家に帰る。ビールと夕食が待っていた。生母も、
「ご苦労さんやったな。」
と言ってくれた。姉からも電話があり、
「ご苦労さん。」
とのこと。継母にも言ったが、かき混ぜるだけかき混ぜて、帰ってしまうという少々後ろめたい気がしていたので、「ご苦労さん」と言われると気が楽になる。
関西空港にて。心残りだが、英国に帰るしか選択肢はない。