宇宙食の夕食
サクラの家の「ルナ」。汗をかいて塩辛くて美味しいのか、さかんに顔を舐められた。
その日、父の夕食の世話は継母に頼んで、生母の家でチズコ叔母と一緒に食事をすることになっていた。ところが、継母は転んで腰を打撲し、痛みが治まらず、急遽家に帰ることになった。それで僕が夕食のお付き合いをすることになる。
何と夕食は歯磨きみたいな「チューブ」に入っている。宇宙食みたい。昔マラソンを走っている途中、栄養補給のため、よくこんなチューブから栄養食をチューチューと吸ったものだ。しかし、チューブ一本で三百キロカロリー以上あるとのこと。ご飯を茶碗に三杯食べたのと一緒とは驚く。父はそれを搾り出し、茶碗に入れて食べている。
帰りが遅くなる旨を生母に連絡しようとするが、常に「話し中」で電話が通じない。父の夕食のお相手を済ませて、七時過ぎ急いで生母の家に戻る。
母と叔母も僕の帰りが遅いので心配していた。しかし食事はもう始まっていた。
「何度も電話したんやけど、ずうっと『話し中』やねん。」
と僕が言う。
「おかしいなあ、誰も電話使うてへんえ。」
と母。叔母が受話器に触るとカタンと音がして受話器が落ちた。受話器が完全に戻っていなかったのだ。
「こういうときに限って、こんなもんよ。」
急いでシャワーを浴びて、それから叔母と色々話しながら食事をする。母の姉、亀岡の伯母からも父の容態を尋ねる電話があった。伯母と話すのはもう二十年ぶりくらい。
しかし、三十度をはるかに超える気温のなか、二十キロ近く自転車を漕いでいるので、僕は疲れ切っていた。
火曜日、七時半に眼が覚める。散歩に出る元気がない。体力はともかく気力がない。出張、長旅、時差の疲れがどっと出た感じ。食欲がないままに朝飯を何とか腹に入れて、生母に家から父の病院に向かう。僕の生まれた家、現在継母の住んでいる家のほんの眼と鼻の先を通るのだが、今回は一度も敷居をまたいでいないことに気付く。
昨日辺りから、どこまで父の世話をして、どこから「手を抜くか」について迷い始めていた。僕が今週べったりと父に付き添ったら、父はそれなりに嬉しいだろう。しかし、僕は来週いなくなる。その落差に父が精神的にがっくりしてしまうのではないかとも思ったからだ。病院に着くと、父は看護婦に身体を拭いて、髪を洗ってもらっていた。
今日は十時半から十二時まで、チズコ叔母の家でピアノの練習をさせてもらうことになっていた。それで病院を抜け出す。叔母の家までは自転車で十分とかからない。最初は寒い国から来て、日本の暑さが「ホコホコ」と気持ちよかったが、気温が三十五度を超えると、そうも言っておられない。叔母の家のピアノのある部屋にはクーラーが入っていた。僕はクーラーが嫌いなのでそれを切ったが、間もなく指の先が汗で滑り始めて、またクーラーを入れる。
某中学校の塀にあった「五山送り火」のモザイク。