父との再会
それにしても、日本の高速道路は高い防音壁ばかり。景色が見えないのでつまらない。
関空で降り、電車で大阪まで戻るノリコと別れ、予約しておいた京都行きの乗り合いタクシーに乗り込む。タクシーは人数がそろわないのか、なかなか出発しない。やっと出発。今回は名神高速ではなく、第二京阪道を通り京都へ入る。南から順番に客を下ろし、いつものように僕が降りたのは最後だった。しかし、久々に祇園界隈の「観光」ができた。
「寒い英国」から来て、日本の暑さと湿気を心配していた。しかし、サービスエリアでバスを降りたとき、ちょっと「熱風」という感じがしたが、暑さはそれほどでもないように感じる。それどころか、暖かい気候がホコホコと心地よく感じる。
十二時に鞍馬口の生母の家に着く。父が離婚して再婚している関係で、僕にはふたりの「母」が京都にいる。今後は「生母」と「継母」と書いて区別することにする。
生母の家で、昼食に冷麺をご馳走になったあと、自転車で病院へ向かう。受付で聞くと父の病室は六階。エレベーターで六階に上がり、ナースセンター。
「カワイの息子です、いつも父がお世話になっております。」
と告げる。応対に出たポチャッとした看護婦さんによると、
「お父さん、朝から待ってはりますよ。」
とのこと。ナースセンターの直ぐ横の部屋に通される。
父はそこで寝ていた。ちょっとヒヤヒヤした気分で中に入る。
「お父ちゃん、気分はどうや?」
と言うと、父は握手の変わりに手を握って欲しいと言った。父の喋る内容は、極めてしっかりしている。ただ、常に痰が出るらしく、それを吐き出すティッシュを、十分おきくらいに要求してくる。
誤嚥性の肺炎、つまり食べた物が気管から肺に入り炎症を起こしている。それで発病後二週間絶食状態だった父だが、ボチボチ口からの栄養の補給も始まったようだ。しかし、飲み込むにも筋肉が必要。それも使っていないと弱るので、徐々に機能回復のトレーニングが必要とのこと。間もなく入って来られた、若くて綺麗な女性医師、フジタ先生からそんな説明を受ける。父の容態が快復局面にあることを知り、少し安心する。
口から栄養を取る訓練と共に、「立つ」、「歩く」のリハビリも始まったという。年寄りが二週間も寝たきりだと、足腰が衰えてしまい、簡単にはまた立てないものなのだ。三時半からリハビリの時間とのこと。リハビリを見学させてもらう。
車椅子の父と一緒に、リハビリ室へ行く。若いスポーツマン、スポーツウーマンが多いのに驚く。父と同じくらいの年齢のオオタさんが、立ち上がるとき、いつも大声を出す。
「気合を入れてんねん。」
とオオタさん。
「オオタさん、耳元でそんな声だされたらかなわんがな。」
と療法士さん。ボールを打つとき大声を出す、テニスのマリア・シャラポヴァを思い出す。
父の世話をしてくれている看護婦さんたち。皆腰が低くて優しい人達だった。