ドイツへ
月曜日の朝、ルフトハンザ機でロンドン・ヒースローを出発。
まずお断りしておくが、これはコルシカ島へ行ったときの旅行記ではない。コルシカ島へは結局行けなかった。もう二度と行く機会がないかも知れない。そうすると、コルシカ島は僕にとって文字通り「幻の島」となってしまうのだ。
六月の中旬、また二週間のドイツ出張の予定が入った。出張から帰って一週間後、家族で地中海に浮かぶコルシカ島で休暇を過ごすことになっていた。結果的に僕以外の家族のメンバーはコルシカ島に旅立ったのだが、僕だけはその前に日本へ戻ったのだ。
六月六日、月曜日にドイツに発つことになっていたが、その前日、日曜日の午後、京都の母と電話で話し、父が肺炎で入院したことを知った。容態はかなり重く、福岡に住む姉も京都に駆けつけたという。父はもう九十歳、何が起こっても不思議でない年齢だ。
僕は迷った。普段ならば「すぐに日本に戻る」という選択肢があるのだが、あいにく翌日から二週間の出張を控えている。ここで出張をキャンセルすると、多くの人に余分な仕事を与えてしまうことになる。日本人であり、それなりに「仕事人間」である僕は、とりあえずドイツへ出発することにした。日曜日の夕方、上司に電話をし、事情を説明する。
「一応出張には行きますけど、父の容態が急変したら、日本へ戻りますので。」
と上司のアンディに告げると、
「そんなときは、何時でも何処からでも日本行きの飛行機に乗っていいから。」
との同意を得た。
これまで、日本へ一時帰国をした際、僕が英国に戻るために父に別れを告げるときには、
「これで生きて顔を見るのが最後になるかも知れない。」
と、お互い覚悟していたつもりだった。しかし、実際父が「いよいよ」かも知れないという状況になると、やはり日本へ帰りたい。妻もそれを勧めてくれる。
「ドイツからでも日本行きの飛行機には何時でも乗れるんだし、それまでの時間、英国にいようがドイツにいようが同じだ。」
そう自分に言い聞かせ、文字通り「後ろ髪を引かれる」思いで、月曜日の朝の六時半、ロンドン・ヒースロー空港からデュッセルドルフ行きの飛行機に乗る。家を出る前、急いでメールを見るが、日本からのメールは届いていない。何か事態の急変があれば、姉からメールが届いているはず。
「便りのないのは良い便り。」
少しホッとして、いや自分を無理矢理ホッとさせて家を出る。
飛行機を待っている間、娘のミドリに葉書を書き、事情を簡単に説明する。
飛行機は定時、午後九時にデュッセルドルフ空港に着いた。いつものように同僚で親友のデートレフの出迎えを受ける。車の中でデートレフに父親の容態について話す。彼も、
「何かあったら、後始末は俺がしておくから、何時でも帰れよな。」
と言ってくれた。
早朝の飛行機の乗客は、僕も含めほとんどビジネススーツ。