あきらめることへの技法

 

二千五百年前のアテネ、ひとりの老人が市場に毎日現れる。老人は売り手に色々質問するが、いつも何も買わずに去っていく。その理由をひとりの売り手が質問すると、

「自分に必要のないものがこれほどあるのを知ることは楽しいことだ。」

とその老人、ソクラテスは言った。彼の言葉は今の世界にもあてはまる。デパートやオンラインショッピングでは、実に色々なものが売られており、消費者にはそれらを持つことが楽しいことだという思い込みがある。そして物に対する欲求に取り付かれると、そこから逃れるのは難しい。しかし、一度手にしたものも、直ぐに輝きを失ってしまう。それらをあきらめることは、簡単なようで難しい。それは物だけではない。習慣や憧れにも当てはまる。一度それらに取り付かれてしまうと、あきらめるのは難しく、あきらめるという決断の後には、苦痛が伴う。人間は「コンセプト」(概念)に依存しており、そこから別れることには苦しみがある。しかし、宿命や、他人が原因でそれまで取り付かれていたことをあきらめることは、それからの解放を意味する。

ソクラテスはあきらめることの名人であり、最後は法の遵守のために、自らの生命さえあきらめた。我々はソクラテスほど人間ができていない。しかし、彼の達観、冷静さは学ぶべきである。「努力して平静さを学べ」というのは矛盾かもしれない。「一所懸命リラックスせよ」というのと同じくらい。しかし、平静さは努力して学ぶものである。平静さは、知恵と深い洞察の結果なのだ。平静さは、メリットとデメリットを比較して計算の上で学ぶものである。そしてそれを得たとき、物事の動じなくなるのだ。古今の作家や詩人たちも、平静さを学ぶことは、努力に値するものだと述べている。「激昂しない」、「嘆かない」、「文句を言わない」、「変化を受け入れる」ことは、人生を楽にして、満足を得ることにつながる。鬱に陥るひとは、ネガティブな考えの輪から抜け出せない人が多い。平静になりすぎて全く物事に無頓着になるのは、やりすぎだが、平静さは人間を満足へと導く。

 

人間の本能を認識すること

 

捨てること、あきらめることが大切なのに、どうして人間は古い、時には不愉快なものにこだわるのか。習慣を守り、新しいことをしないのは、生き延びようとするための人間の本能なのである。新しいものが素晴らしい、良いものであることが約束されているわけではない。そうでない限り、人間は生存のために古いものに留まり、ルーチン、儀式、現在の構造を変えないでいこうとする。そのために時には、古いもの、不愉快なものを引きずって生きている。つまり人間は古いものにこだわるのが自然で、あきらめること、捨てることは学んで初めてできることなのだ。

赤ん坊は母親にくっつきたがる。大人も、困難に出会うと、何かにくっつきたくなる。決別は、特に愛するものからの決別は痛みを伴うものである。その心の傷の痛みは、外傷との痛みと同じホルモンによって起因されている。統計的に言うと、常に新しいものを求めている人は、全体の二十パーセントに過ぎない。あきらめることにより満足を得るという一種の「魔法」を体験するために、自分を捨てることが必要である。その資質は遺伝子ではなく、生活体験に依存している。例えば辛い別れをした人は、自分を捨てることにより、そのトラウマかを克服することができるように。

魅力のないものや、高すぎるものはあきらめ易い。しかし、一度自分のものになったものをあきらめるのは難しい。中でも、愛する人など、自己と一体化したものに関しては特に難しい。ストア派の哲学者エピクテトスは「小さなものから始めよ」と説いている。物事に固執しないストア派にとって、冷静さ、平静さは最も学ぶ価値のあるものであった。何事も、努力し、対価を払わないと手に入らない。冷静さ、平静さについてもそれは言える。それなりの理由があるときに限り、物事に固執するほうがよい。

完璧主義者はあきらめることはより難しい。望みが高いため、なかなか満足が得られないからである。しかし、完璧主義者も小さなことから始めることはできる。完璧に掃除しないと気がすまなかったのを、少し残しておくとか。百パーセントを狙わず、九十パーセントでやめておくというのが第一歩であろう。

平静さを学ぶ第一歩は、毎日少しでも、何もしない、一見怠惰な時間を持つことだ。自分の置かれた状態を喜び、それ以上になることをあきらめる時間である。何事も消化するのには空間と時間が必要になる。ブランドシュテッターは、そのやり方を「反映された無関心」と呼んでいる。精神的に無関心を装うことによって物事はその意味を失う。また、物事と距離をもって対峙することによって、他の方法があることが分かってくるものである。サバティカル(休暇)は似ているようだが、あきらめることとは反対のものである。このままやっていけるという希望を残しながら、時間を置くのであるから。サバティカルは、確固としたプロジェクトを実現するというものではない。例えば職業で不愉快なことがあったとき、時間を置くことによりその出来事と距離を置き、新しい力を蓄えるということだ。

 

自己を有効だと感じることが平静さを作る

 

平静さを得るためには、物事を処理する能力も大きな前提となってくる。不愉快な状態の中で、少しでも良く感じるようにするにはどうしたらいいか、それを考え実行する能力である。自己を知り、自己の能力を信頼している人は、平静さを保ち易い。そんな人は、自分でコントロールできない不愉快な体験から距離を保つことができるからだ。しかし、自己作用が強すぎるのもよくない。そのような人は、ぎりぎりまで戦おうとするので、変わることが難しく、それが平静さの獲得を妨げる。その戦いの無意味さに気付いたときから、捨てること、あきらめることが始まるのである。どこまで戦い、どこであきらめるかを判断するためには、周囲の状況だけではなく、自分自身を知らねばならない。そのためには、一度静かな時間を持って、自己を見つめることが必要である。すぐには解決できなくても、冷静に考え、自分のこれまでの習慣と距離を置くと、新しいゴールが見えてくるものである。ここでまた完璧主義者が登場する。彼らは別のゴールを見つけても、またそこで完璧にやろうとして、不満足、ストレスを感じてしまうので要注意である。

 

あきらめるためのチェックリスト

 

あきらめることとは、物事を強制することをやめる、抵抗することをやめる、見込みのないものへの戦いをやめることである。あきらめたい人は、次の点に当てはまらねばならない。基本的には、上手くいかない状況を認識して、受容する態度がとれることが必要である。

1.        上手くいかないのが当たり前と考え、「何故私だけが」という問いをやめること。

2.        あきらめることは降伏することでないと理解できること。

3.        あきらめた場合のプラスとマイナスを計算し、どちらが良いかを導き出せること。

4.        いつまでも悪いことを考えないで、良いことを考えられるようになること。

5.        文句を言わない、悪いことも後になったら感謝の気持ちを持って振り返れること。

6.        新しい目標を得るための苦痛を受け入れることができること。

あきらめること、捨てることは、考え方に新しい方向性を与えることだと言ってよい。

 

ケーススタディー、フロリアン・ロイターの場合

 

フロリアン・ロイターは、株に投資をし、毎日株価をチェックしていた。彼は子供のない伯母より、百三十万マルクの遺産を受け取り、それを元手に株への投資を始めた。彼は子供のときから節約家であり、金の管理をするのが好きであった、同じく遺産を受け取った姉が、衣服やホリデーに金を使ってしまった中で、フロリアンは株に投資し、最初は儲かった。それでフロリアンは益々のめりこみ、四六時中ラップトップを覗き込み株価をチェックするようになった。そのうち、彼はコンサルタントの手を離れ、自分から投資する銘柄を選ぶようになった。

その分析が、株だけでなく、だんだんと私生活のほかの分野にも及ぶようになった。携帯電話のプロバイダーを次々と変え、その度に番号が変わって友人が迷惑することも顧みなかった。また、健康保険も安い会社を見つけて、次々と乗り換えた。スーパーマーケットでの買い物も、安いものを、安い時期に、安い場所で買うようにした。自分の金を正しく使っ ていないのではと考えることは、彼にとって苦痛だった。彼はアメリカ人に比べ、ドイツ人が資産運用について疎いという記事を読み、自分はその例外であることを喜んだ。

株では得もしたが、損もした。彼は、損を取り戻そうと必死になって分析をした。しかし、専門知識と熟考が、株の世界では必ずしも良い結果をもたらさないことは知られている。ギゲレンツァーとオルトマンは、経済誌「キャピタル」が計画した、資産運用ゲームに参加した。他の参加者が、情報を集め、それを分析しようとした中で、ふたりはリンチが彼らに助言した「知っている会社に投資せよ」という助言に従った。ふたりは街に出て、百人の人に会社のリストを見せ、知っている会社を挙げてもらった。そして、知名度の高い順に投資をした。その結果、ふたりは参加者の中でも最高の運用益を得たのであった。

フロリアンは、部屋に閉じこもって一日中株価を見つめるようになり、友人にも会わず、スポーツもしなくなった。友人たちは彼を「守銭奴」と呼んで離れていった。そんな状態のとき、まずはプライオリティーを決めさせることが大切である。全てを上手く回していくことは不可能である。何が大切かを考える。友人?金?複数の選択が可能な状況では、何かに「ノー」ということが大切である。どの時点でも、最適化は必要である。しかし、そのために何をしなければならないかを決めなければならない。その基準がプライオリティーである。

フロリアンもプライオリティーをつけることを始めた。どの時点でも最適化は必要である。しかし、最適のものを得るためにしなければならない努力を考えれば、次善のもので満足することも必要だ。僅かな利益を得るために費やさなければいけない時間を考えれば、その時間でももっと大きなものを手にいれることもできるであろう。そう考え始めたフロリアンは次第に、株価をチェックする回数が減っていった。