何故女性の方が不満足や自己への疑問を多く感じるか
ザビーネ・ヨンソンは自動車会社の重役で、他社での講演などもこなしている。彼女が多忙な日々を送る中で、彼女は一日中公私に渡って、次々の現れる不満足な事項と戦っている。女性が男性より満足を感じにくいことは、衆目の一致するところである。例えば、私がトークショーへの出演を依頼すると、女性は「テーマが自分と合わない」と言って断ってくることが多いが、男性はテーマを告げる前にオーケーしてくることが多い。
女性の方が、自分に対する期待度が高い、女性の方が完璧を求める傾向にあると言うことが出来る。その原因として、子供の頃から、女性の方が親から完璧たれという教育を受けているということがあるだろう。また男性社会の中で、上に立って引っ張るということに対して躊躇する癖がついていることが考えられる。成功した女性でも、自己に対する疑問や不確実さを感じ、周囲に気を遣い、なかなか満足しようとしない人が多い。例えば、講演会の後で、一人を除いて内容に満足したと答えたとする。女性は、講演の内容に不満を持った一人のことを考えてしまう傾向が高い。それに対して男性は、内容に満足した大多数の人のことを考えることが多い。
どのような調査でも、女性は他人から批判されることに対して男性より弱いという結果が出ている。女性にとって「良い考え」とは斬新なものよりも、他人に受け入れられるものなのだ。自尊心には三つの流れがある。
@ 自己観察
A 他人との比較
B 他人から来る反応
男性はAの他人との比較により自尊心を満足させる傾向が高い。女性はBに重きを置いている。女性には、他人からのフィードバック、他人から如何に認知されているかを大切にする傾向が大きい。しかし、それは危険なことでもある。賛同者が急に批判者に回ることもあるし、他人の判断が誤っている場合もある。ひとつのことはふたつに解釈できるとすると、良いように解釈することが大切である。また、本当の自尊心は、他人との関係に依存しないことを知ることが大切である。
一方、他人との比較の上に自尊心を感じるという男性の傾向も、正しいものではない。他人より良い家に住んでいる、良い車に乗っている、もっと金を持っている・・・そんなことは突然失うこともあるし、年齢と共に衰えることもある。しかし、良くしたもので、男性は常に自分より下の位置に置かれたものと比較をする傾向がある。従って自尊心が得られる可能性が高い。それに対して、女性は、その場で一番高い位置の人、最悪の場合は理想像を基準に選ぶ傾向がある。その結果、女性の自尊心が満たされることは難しい。
ワートンは、三万八千人の二十歳前後の男女に、自分の体形についてどう思っているかについてアンケート調査を実施した。その結果、男性は自分の体形について肯定的で、女性は否定的な傾向にあった。その調査では、自分のBMI(標準体重に対する分布)も書かせている。女性は、標準的な体重であるにも関わらず、自分は太っていると考えている人が多かった。更に、三十五歳前後のカップルに、自分の体形と、パートナーの体形についての同様の意見を書かせた。その結果、女性はパートナーに太っていないと言われていても、信じていない傾向にあった。
シーヴァーディングは、その傾向が職業の中にもあることを確かめた。職場における自分のパーフィーマンスを自己採点させると、女性は男性より辛く自己を採点した。男性は自分の業績を周囲の人間と比較し、女性は理想像と比較する傾向が高かった。
ではどうして、女性は自己批判的なのだろうか。これは完全には解明されていない。女性は生物学的に「守る」立場にあったので、周囲との協調がより必要で、そのために仲間の批判に対して敏感であるという説もある。また歴史的に、傑出した女性は男性社会で否定され続けてきた。「魔女」などがその例である。その結果、女性は集団の中での孤立を怖れるようになったという説もある。また、外での活動が制限されていたため、内的活動に入る傾向が高く、その結果内向的になったという説もある。いずれにせよ、女性の周囲に対するセンサーは男性より敏感で、ストレスを受け易い、不安を感じやすいということは確かである。
第二次世界大戦後、女性の社会進出が進んだ。しかし、女性の満足度は、一九七〇年代に比べて、落ちてきている。女性解放は、女性の満足度の向上に貢献していない。人間、選択肢が多いと、かえって不幸だと感じる。決断をすることはそれなりのストレスであり、別の決断をした方がよかったのではと悔やむことも多い。女性の道が開け、選択の余地が増えたことが、不満足の拡大につながっていると考えられる。女性にとって最大の選択肢は、仕事の家庭というふたつの層の中でどのように生きるかということであろう。
カーの調査によると、夫婦が結婚生活に満足しているか、不満足であるかを決めるのはほとんど女性であるという。そして、女性は、自分が家庭内で尊重されていると感じたとき、満足を覚える。女性が満足していれば、結婚生活が上手くいくことが多い。
女性は、自分でポジティブなことを言っていても、内心ネガティブなことを考えていることが多い。ではどうすればポジティブになれるのか。それは他人に対し、ポジティブに振る舞うのと同様に、自分に対してもポジティブに振る舞うことが大切である。また、他人を否定的に見ないということも大切である。他人に対して否定的な目を向ける人は、自分に対しても否定的であることが多い。
常に流行を追いかけて「クール」であることが、満足度を高めるとは限らない。流行遅れではないかということを常に心配し続けなければならないから。たまに流行おくれのものがよく見えることもある。愛に満ちた視線を他人に向けると、それは自分に戻って来る。
ケーススタディー、ペトラ・フレンツェンの場合
ペトラ・フレンツェンは、アルゴイにある「母親専用のクリニック」に療養にやってきた。三十四歳で二児の母である彼女は、精神的に追い詰められ、他人の助けが必要であると感じ、このクリニックにやってきた。クリニックは、彼女のように家庭内で上手くやっていけなくなった母親が、子供、夫、家事から離れ、休養し、自分を見つめる場所である。ペトラも、自分は、静けさと落ち着きが必要だと思ってここへやってきた。最初は罪の意識を感じたペトラだが、ここでやっと自分を見つめる時間を取ることができた。
このクリニックには、精神的に疲れ果て、バーンアウトになった母親に場所を提供している。ここ十年間で、精神的な理由でここを訪れる母親は倍増している。男性との同権を期待され、それが負担になっている場合もある。また、子供の躾、教育に悩む母親も多い。良い母であろうとすることに疲れ果てた女性もいる。ペトラもそうであった。彼女は山ほどの家事や、子供の世話を抱え、どれも上手くできないという不満を持っていた。そして、少しでも失敗するとパニックになっていた。彼女は「母親はこうでなくてはならい」という理想像を設け、それに比べて不満足を感じ、失望していたのだと気づく。その結果、常にかかる負担に、押しつぶされそうになっていたのだと。
幸いペトラの場合、負担に感じていたのは家事で、職業は負担になっておらず、むしろ精神的にポジティブな影響を与えていた。職業を持たない専業主婦で、このクリニックに来る人も多い。自分のやっていることに価値があると感じることは大切だ。しかし、一生懸命に家事をこなしても、それを評価してくれたり、褒めてくれる人はいない。
ペトラは、自分は回転する輪の中で走り続けていたハムスターのようなものだったと回顧する。考えている暇すらなかったのだった。ペトラは、将来へ向かって方針を変更することにした。彼女はこれまで、義務だと思ってやっていたことを見直すことにし、家事をもっと夫に任せることにした。家事は完璧でなくてもオーケーであればよいのだ。そして、自分の時間を持つことにした。それが活力につながると考えたからである。