津軽海峡冬景色

夜が明けてくる。雪原の中を走っているのに気づく。

 

「上野発の夜行列車降りたときから青森駅は雪の中、

北へ向かう人の群れは誰も無口で海鳴りだけを聴いていた、

わたしもひとり連絡船に乗り、凍えそうなカモメ見つめ泣いていました・・・」

石川さゆりの、「津軽海峡冬景色」、名曲だ。当時の青函連絡船は風情があったよね。

一九八〇年代、当時金沢に住んでいた僕が北海道に渡るには、まず急行「しらゆき」という列車に乗り真夜中前に青森に着き、真夜中に出発する青函連絡船に乗り、午前四時に函館に到着、朝飯にホームで蕎麦を食って、待っている特急「北斗」に乗り、更に北へ向かうというパターンだった。昨夜函館港に係留されている、かつての連絡船「摩周丸」を見たけれど、意外に小さいので驚いた。当時はもっと大きな船だと思っていたんだけど。

車内販売で、サンドイッチとコーヒーを買って朝食。寒い朝、温かいコーヒーが美味い。

 

七時二十五分、新青森に停車。

新青森駅に入る前に陸奥湾が見える。トンネルを潜っている間に夜は完全に明け、朝日を反射した陸奥湾が、金色に輝いている。息を呑むような景色。新青森で沢山のお客さんが乗り込んできて、座席は八割方埋まった。乗ってきたスース姿の男性は、クルクルと巻いた来年のカレンダーを持っている。おそらくこれから得意先に配りに行くのだろう。「あたらすぃ」(新しい)「まんず」という土地の言葉も聞こえる。

雪を頂いた岩木山が見える。

「きっと帰ってくるんだと、お岩木山に手を振れば〜」

東北地方には演歌がよく似合う。

新青森を発車した列車は間もなくトンネルに入った。昨日通ったので知っているのだが、新青森から盛岡までは、眠っていても見逃すものは何もない。殆どがトンネルなの。トンネルの合間に、ちらっ、ちらっと景色が見える程度である。

八甲田トンネルを潜る。八甲田山、昔、新田次郎の「八甲田山死の彷徨」という本を読んだことがある。これも映画になった。青森と弘前の陸軍連隊が、双方から雪中行軍の訓練をやったのだが、片方の連隊は吹雪に巻き込まれほぼ全滅、反対に、もうひとつの連隊はひとりの犠牲者を出さなかった。雪山を甘く見ちゃいけない、冬山で大切なものは何かを教え、考えさせる話だった。それと同時に、日本の軍隊に蔓延していた精神論、部下の提言を取り上げる勇気のない硬直した上下関係に、痛烈な批判を浴びせた作品であった。それらの問題は、現在の日本の会社でも残っている。結局、著者の新田次郎さんは、その本で日本の社会全体を批判したかったのかも知れない。「六甲山死の彷徨」というパロディーを筒井康隆が書いていた。

さすがに暖かくなってきたので、函館からズボンの下に履いてきたタイツを脱ぐ。

 

函館港に係留されている、かつての連絡船「摩周丸」。何度か乗ったことがある。

 

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