アガサ・クリスティー

 

「ミステリーの女王」クリスティー(写真はウィキペディアより)

 

前にも書いたように、今回、僕が週末の「ミニ・ホリデー」の目的地にトーキーを選んだのは、そこがアガサ・クリスティーの故郷であるという理由。実を言うと、アガサ・クリスティーは僕の英語の「先生」なのである。

三十五歳のとき、僕は七年間住んだドイツから転勤になり、英国にやって来た。ドイツ語は元々専門であるし、ドイツの職場では通訳や翻訳の仕事が多かった。会社のあらゆる情報が僕を通して伝えられた。情報の中心にいることは、強みでもあったし、楽しいことでもあった。それが、英国へ来て一転。英語の世界で、自分が情報の中心になれない。それが寂しくもあり、フラストレーションの原因ともなった。十年以上、ドイツ語一本でやってきた僕には、結構難しい転換だった。

「何とか英語に慣れなければ。」

そう思って英語の本を読むことにした。しかし、最初から余り難しい本や、硬い本はとっつきにくい。それで、クリスティーのペーパーバックを読み始めたのだった。読んでみると結構読み易く、面白くて、一年間で二十冊以上読んだと思う。「ミステリーの女王」アガサ・クリスティーは、「エルキュール・ポワロ」シリーズと、「ミス・マープル」シリーズを書いている。僕は「マーブル」の方はどうも好きになれなかったが、「ポワロ」にはまってしまった。今、クリスティーの著作一覧を見ると、彼女はポアロ・シリーズを三十二冊書いている。どのタイトルにも見覚えがあるので、二十年以上前だが、僕はその殆どを読んだのだろう。その後も僕は、ミステリーを読み続けるが、途中で趣味が変わってしまい、クリスティーの作品には余り手を出さなくなった。ともかく、僕に、英語の本の面白さを教えてくれたのはクリスティー先生なのである。

「一度お礼参りをしたいな。」

そう思っていたのだが、時が過ぎてしまい、今回、やっとそれを果たせることになった。

「すみません、お礼が遅くなりまして。」

 アガサ・クリスティーは一八九〇年トーキーに生まれ、結婚するまでの二十四年間、トーキーに住んでいた。旧姓は「ミラー」で、「クリスティー」は最初に結婚した旦那の姓である。彼女の伝記によると、彼女は学校に行っていない。母親のクララは、教育に関して独特の信念のある人で、娘のアガサを家で教育したのであった。一九二〇年に、最初の小説を発表。生涯で、長編六十六作、中短編百五十六作、戯曲十五作を書いたという、大変な多作家である。一九七六年に、八十六歳で亡くなっている。

 僕は、彼女が「オリエント急行の殺人」、「メソポタミアの殺人」、「ナイルに死す」など、中東を舞台にした作品を書いているのが不思議だった。今回、伝記を読んでみて、再婚した相手が十四歳年下の考古学者であることが分かった。ふたりは中東旅行中に知り合ったという。なるほど、と僕は思った。

 

クリスティーも毎日散歩したと思われる、海岸沿いのプロムナード。

 

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