死せる孔明、生ける仲達を走らす
倪大紅(ニー・ダーホン)演じる司馬懿。彼と諸葛亮の知力の限りを尽くした戦いは、物語のクライマックスにふさわしい。
後半のクライマックスが、諸葛亮の率いる蜀軍と、司馬懿の率いる魏軍の戦いである。このふたり、いずれ劣らぬ切れ者、知者。知略の極限を尽くして、戦う。はっきり言って、「キツネとタヌキの騙し合い」である。(どっちがキツネでどっちかタヌキか分からないが。)諸葛亮が、蜀軍の全権を与えられているのに比べて、魏の「非主流派」である司馬懿は、敵と共に、自分を陥れようとする味方とも戦わなければならないというハンディーがあった。
二人の戦いを見ていると、
「藤井聡太七冠の将棋を見ているようだ。」
と思う。ともかく、先を何手も読んで、行動を起こしている。一見何気ない行動が、実は先のまた先の伏線となっている。あるいは、ひとつの手が、色々な効果を発揮している。まさに、藤井七冠の一手である。
さて、その戦いに最終的に勝つのは・・・司馬懿であった。と言うか、諸葛亮は病に倒れ、志半ばにして死んでしまう。その後、彼に代わるような人物が蜀には現れず、最終的に司馬懿とその子孫が天下を統一する。司馬懿とは、その意味では、織田信長、豊臣秀吉をサポートしながら、最終的に天下を取る徳川家康と似ていると思った。
諸葛亮は死んでからも、生前に考えておいて作戦で、一矢を報いる。その故事は現在でも語り継がれている。
「死せる孔明、生ける仲達を走らす。」
孔明とは諸葛亮の字名、仲達とは司馬懿の字名である。
「死せる孔明」の他に、「泣いて馬謖(ばしょく)を切る」など、現在「故事成語」として日本でも使われている表現の多くが、三国志に由来していることを知り、興味深かった。ちなみに、「泣いて馬謖を切る」と言うのは、軍記を破って敗戦した部下の馬謖を、自分を永年サポートしてくれた部下でありながら、切らざるを得なかった、諸葛亮の無念さを表した成語である。「規律、規則を守るために私情を捨てる」という意味で、今でも使われている。後で調べてみると、「苦肉の策」など、三国志に由来する故事成語は、意外に多かった。
「三国」の時代は結構長く、半世紀に渡って続いた。諸葛亮は、最初から、この三国の並立を予言していた。彼はそれを「天下三分の計」と呼んでいる。三つパワーの並立は、二つのパワーの対立より、安定度が高いという。それは、
「もし、一つの国Aが強力になり、もう一つの国Bを攻めれば、三つ目の国Cが攻められたBと同盟を結び、BとCの連合軍でAに対抗できる。」
という理論に成り立っている。これは、AがおいそれとBとCを攻められないという「抑止効果」にもつながる。事実、この理論の上で、三国時代は五十年続いたのであった。米国、中国、ロシア、現代社会の力関係を見ると、この「三国理論」が成立しるように思えなくもない。ロシアと中国の協力関係は、まさにBとCの同盟のような気がする。
呉にも天才軍師はいた。劉備を敗戦へと導く陸遜。邵峰(シャオ・ファン)が演じる。