マグナ・カルタ
オルガンの演奏が良い雰囲気を醸し出す大聖堂の中。
教会の中は祈りの場であると同時に墓場でもある。壁際や床には、墓石が並んでいる。ちょっと偉めの人は、その横たわった姿が石に彫られている。時々、ガリガリに痩せて骨と皮ばかりになった石像が横たわっている墓がある。いくら死ぬ前に痩せ衰えていても、それをそのまま写すこともないと思うのだが。
「何のためにこんなリアルにしたんやろ。」
とふたりで考え込む。
しかし、まだ祭壇のある墓は良い。多くの墓は床下である。その上には名前と生まれた日、死んだ日を刻んだ畳一枚くらいの石が敷いてある。もちろん、その石の上を常に人が歩くわけだから、死者は絶えず踏みつけられ、名前を書いた墓標はだんだんと磨り減っていく。古いやつはもう、磨り減って読めなくなっている。個人的にはこんな場所に葬られたくない。
「あのヘンリー八世でさえ、お墓はこんなものよ。」
と、ノリコが言った。六人の妻をとっかえひっかえ娶った人でもそうなのか。
僕がウィンチェスター大聖堂に行ったとき、英国で有名な十九世紀の女流作家、ジェーン・オースティンの墓を見た。やはり、教会の床下に葬られており、名前を刻んだ黒い石が敷いてあるだけだった。末娘のスミレが、オースティンの大ファンなのだが、家に帰ってから、その墓のことを、娘に報告することが何故かためらわれたのを思い出す。
英国の歴史に詳しいノリコは、何人かのお墓の主の名前に聞き覚えがあるらしい。
「それ誰?」
と聞いても、
「エドワード四世の妻の兄弟の・・・」
という説明。基礎知識が全くない僕には結局分からない。
「お知り合いの方ですか?」
と彼女に聞くだけにする。
一通り大聖堂の中を見た後、「マグナ・カルタ(大憲章)」のオリジナルを見た。大憲章とは一二一五年に発効した、当時の王の持つ「王権」を制限する文書である。それまでの王様はそれこそ好き放題やってきたわけで、ここで初めて「法の支配」が王にも及んだのである。英国最初の「憲法」とも言えるもので、現在でも効力を持っているという。オリジナルは四部現存しており、そのうちの一部がこの大聖堂で保管、公開されている。
この文書を僕は一目見て、頭がクラクラとなった。タブロイド新聞くらいの大きさの紙に、ぎっしりと三ミリくらいの細かい字が並んでいる。アリの行列。改行、段落、一切なし。読む者を拒む書き方である。これなら、ロゼッタ石や、パルテノン宮殿に刻まれた古代ギリシア語の方がまだ読んでみようという気が起こる。
隣にエリザベス一世の自筆の手紙があったが、それは、なかなか読み易いものであった。彼女の署名もなかなか格好良い。
マグナ・カルタのオリジナル。これ、読む気する?ラテン語ですので、やめときましょう。