十七歳の自叙伝
旧市街にはコロニアル風の建物が残っている。カフェやレストランになっているものが多い。
「パパのエッセー、『十七歳の自叙伝』、全部読んだよ。」
息子が言った。僕たちは、シンガポールの旧市街を歩いていた。
「えっ、本当?」
正直驚いた。
その日はシンガポールに着いて五日目。娘たちと僕、息子は旧市街に夕食に来ていた。どうしてゾイは来なかったかと言うと、シンガポールでは、レストランに一緒に入れる人数が、一グループ四人までと制限されていたからだ。もちろんコロナ感染対策である。メキシコ料理店で一杯ひっかけて、「コリアン・チキン」を食べに行く途中だった。韓国には、チキンを食べさせる小さな店があちこちにあり、そこでビールを飲みながら鶏肉をつまむのが、庶民の楽しみであると、聞いたことがあった。
さて、息子の言った「十七歳の自叙伝」とは、僕が本当に十七歳のときに書いた自叙伝のこと。書かれたから二十年くらい経って、僕は自分の荷物の中にそれが書かれたノートを発見。読み直して、結構自分でも感動し、ウェッブ公開した。誰か、奇特な人が、読んでくれるかも知れないと思って。その後、色々なエッセーを書いたが、十七歳のときに書かれたものを超えられないような気がする。息子が読んでくれたというのは、全く意外な展開だった。
「どうして、十七歳のとき、停年退職したおじさんよろしく、自叙伝を書いたんやろ。」
と自分でも考える。多分、その頃の自分が、変わっていき、失われていくのが分かっていたので、何とか、「その頃の自分」を残しておきたかったのだと思う。
「誰に読んでもらおうと思って書いたんやろ。」
とも考える。よくよく考えてみると、僕は自分の次の世代、つまり自分の子供たちに、一番読んでもらいたかったような気がする。もちろん、当時は十七歳、自分がどんな人と結婚して、どんな子供たちが産まれるのか、全く見当もつかない状態。そんな中でも、自分が生きた軌跡を、自分の子供たちに知ってもらいたかったような気がする。そして、その十七歳のときの希望が、五十年近い年月を経た今日、シンガポールで、叶ったのである。その日は、人生の中でも思い出に残る日になると思う。
韓国飯屋に入った僕たち四人は、鶏手羽のフライ、ブルゴギ・チップス、それとスイカとソジュのカクテルなんかを注文した。ブルゴギ・チップスは、韓国焼肉のブルゴギが、フライドポテトの上に乗っている。どれも、メチャ、カロリーが高そう。スイカのカクテルは、スイカを半分に切り、中身を搔き出し、そこにスイカのジュースと、ソジュ、つまり韓国の焼酎が入っている。それをおたまですくってグラスに入れて飲む。これが結構強くて、腹の中がカーッと熱くなってくるのだ。酔いが回ると、急に涙が出てきた。
「今日は本当に嬉しい。忘れられない日になる。」
僕は息子に言った。娘たちも、僕の自叙伝に何となく興味がありそう。よしよし。
シンガポール名物海鮮料理。これは蟹。