ヤン・ギィユー
Jan Guillou
(1944年~)
ストックホルム出身、ジャーナリスト、作家
2018スウェーデンのテレビ局、TV4でのインタビューにおける。
この人に辿り着いて正直ホッとしている。ウィキペディアを見ても、どの言語でも、長い説明が載っているし(日本語のページさえある!)、著作の多くがアマゾンで扱われており容易に手に入る。情報量が、これまで紹介記事を書いてきた数人の作家に比べて、格段に多いのだ。書きやすい反面、情報の整理が必要になってくる。
まず、彼の名前だが「Guillou」を「ギィユー」と読ませるのは、フランス語式である。ウィキペディアの日本語版によると、父親がフランス人で、フランス大使館の職員として、ストックホルムで働いている際、現地人で知り合った女性との間にヤンが生まれたという。その後、母親は離婚し、再婚することになるが、「ギィユー」というフランス語の名前は、持ち続けたらしい。(1)
スウェーデンの作家には、自分の政治的な信条を明確に公表している人が多い。ギィユーもそのひとりである。スウェーデン犯罪小説の祖ともいうことのできるシューヴァル/ヴァールー夫妻は、自分たちが共産主義者であることを明言し、資本主義社会の矛盾を描き出すために警察小説を書いた。(2)また、ヘニング・マンケルも政治への関心は高かった。二〇〇二年、イスラエルによってパレスチナ人が住むガザ地区が封鎖されたとき、そこに物資を運ぶ船団が組まれた。そのニュースをBBCテレビで見ていたが、突然よく見た顔が映し出されたので、私は驚いた。ヘニング・マンケルだった。彼は、その物資輸送船に乗り込んでいたのである。マンケルも、まさに行動する作家だった。また、「ミレニアム三部作」のスティーグ・ラーソンも、反ネオナチのキャンペーン活動で、極右テロリズムの標的になっていたという。(3)
ギィユーはその政治的な活動のために、投獄さえされている。彼は最初ジャーナリストとして、活動を始めた。彼の立場は左翼であり、その活動の中で、国家権力と徹底的に戦う姿勢を貫いた。その一つが「IB事件」である。これについては、ウィキペディアの記事で紹介することにする。
「一九七三年に左翼雑誌『Folket i Bild/Kulturfront』は、ギィユーとペーター・ブラットが(Peter Bratt)書く『インフォメーションズビューレン』(Informationsbyrån:情報局または略して IB)と呼ばれるスウェーデンの秘密情報機関を暴く連載記事を掲載した。この記事は、当初は元IB職員であったホーカン・イサクソン(Håkan Isacson)からもたらされた情報を基に、IBのことをスウェーデンの共産主義者や『保安上危険』と考えられるその他の者の情報を収集する秘密組織として記述していた。この組織は国防や通常の諜報の枠組みの範囲外で活動しており、国家予算の割り当ても不明であった。『Folket i Bild/Kulturfront』誌のこの記事は、IB職員が殺人、侵入、スウェーデン国内の外国大使館に対する盗聴や海外でのスパイ活動に関与していると告発した。
この雑誌でのIBの暴露には『スパイ達』と見出しを付けられた幾人かの職員の顔写真が名前と社会保障番号と共に掲載されており、『IB 事件(IB-affären)』として知られる国内で大きな政治的スキャンダルに発展した。これらの活動は全面的にこの秘密組織の責任であるとされ、スウェーデン社会民主労働党との関係はオロフ・パルメ首相、スヴェン・アンデション(Sven Andersson)国防大臣とスティグ・スネルグレン(Stig Synnergren)軍最高司令官により否定された。しかし、後の様々なジャーナリストと第三者委員会の調査や個人の自伝によって、ギィユーとブラットが書いた記事に掲載された活動の幾つかが確認された。二〇〇三年に第三者委員会はIB 事件の調査に関する三千ページにも及ぶ報告書を発表した。
ギィユー、ペーター・ブラットとホーカン・イサクソンは三人とも逮捕され、非公開の裁判においてスパイ罪で有罪を宣告された。ブラットによると三人の中で誰も外国勢力と結託した行為を行ったという事由で起訴されたわけではなかったので、判決は法廷内で確立された既存の司法慣習を拡大解釈する必要があった。一回の上告の後でギィユーは禁固一年から十カ月に減じられ、最初にストックホルム中心部にあるロングスホルメン刑務所(Långholmen Prison)に、後に首都の北にあるエステルローケル刑務所(Österåker Prison)に収監された。ギィユーとブラットは禁固刑の一部を独房で過ごした。」(1)
「存在されも公表されていない秘密機関」、どこかで、聞いたことがある。その通り、そっくりな機関が、スティーグ・ラーソンのミレニアム三部作の最終作、「眠れる女と狂卓の騎士(Luftslottet som sprängdes)」に登場する、公安警察内に設置され、「治外法権」の組織と化した「セクション」である。私、個人的には、いかの当時の首相や大臣が躍起になって否定しようとも、そのような秘密機関は存在したと思う。ともかく、刑務所に入ることを覚悟で問題提起をする、ギィユー、「ジャーナリスト魂」には脱帽せざるを得ない。
ギィユーが、その政治的見解で、物議を醸しだすのは一度だけではない。彼は、ソ連のスパイとして告発されているのである。再び、ウィキペディアの引用をさせていただく。
「二〇〇九年十月にタブロイド紙『エクスプレッセン(Expressen)』は、ギィユーが一九六七年から一九七二年までソビエト連邦のスパイ組織KGBの工作員として活動していたと告発した。ヤン・ギィユーはこの期間にKGBの現地工作員と数回連絡を取ったことを認め、KGBから報酬を受け取ったことを打ち明けたが、自身の目的が、ジャーナリスト活動のために情報を収集することであったという立場は崩さなかった。この告発は、スウェーデンの公安警察(スウェーデン語: Säkerhetspolisen)が発表した書類と元KGB大佐のオレグ・ゴルディエフスキー(Oleg Gordievsky)へのインタビューに基づいていた。後の裁判で『エクスプレッセン』紙は、ギィユーがソ連のスパイであったというのは、見出しと記事の誤った解釈だと主張して告発を取り消した。」(1)
ギィユーは、犯罪小説の他に、歴史小説なども書いており、守備範囲の広い人である。しかし、最初に作家としてブレークしたのは、「スパイ」小説の分野であった。彼は一九八六年、スパイ、カール・ハミルトンを主人公にした小説を出版し、好評を得た。このカール・ハミルトンなる人物、スパイでありながら左翼思想の持主という設定になっており、上司のひとりから「コック・ルージュ(Coq Rouge、赤い雄鶏)」というあだ名を貰っている。このシリーズは計十一作が刊行されており、「コック・ルージュ」シリーズと呼ばれている。何作かがテレビ映画化されている。ギィユーは、一九八八年に、そのシリーズの三作目、『I nationens intresse(国家のために)』で、スウェーデン犯罪小説作家アカデミー賞を受賞している。スパイ罪で服役し、その経験を基にスパイ小説を書き、ベストセラーにしてしまう。転んでも只では起きない、またまた「ジャーナリスト魂」をそこに感じてしまう。
「コック・ルージュ」シリーズ、一九八六年に書かれた第一話のドイツ語訳初版を、古本サイトで入手することができた。(4)四百五十ページの読み応えのある本。その印象は「古色蒼然」、「初期の頃の〇〇七」のよう。中島みゆきではないが、「あんな時代もあったのね」と、今では過去になってしまった時代に思いを馳せた。東西冷戦、イスラエルの建国後のパレスチナ人問題、パレスチナ人武装組織(当時はアラブゲリラと呼ばれていたが)とその支援組織の存在、ソビエト連邦。今ではもう死語となりつつある「共産主義」や「左翼思想」という言葉がまだ現実味を持っていた時代。しかし、驚くのは、この小説が書かれたのが、一九八六年と、かなり遅い時期であることだ。三年後の一九八九年にはベルリンの壁が崩壊、五年後の一九九一年にはソ連が崩壊している。しかし、この小説は、そんなことは予期せぬかのように、一九六〇年代、一九七〇年代「東西冷戦」、「米国とソ連の軋轢」の世界が背景として描かれている。おそらく、作者のギィユー自信が、左翼思想の持ち主であるが故に、そのような時代の流れを認めることを拒否していたのではないか。
この小説に登場するエリク・ポンティは、ギィユーと同じように、左翼思想を持ったジャーナリストである。先ほども書いたが、ギィユーと同僚の記者は「スパイ罪」で訴えられ、有罪判決を受け服役する。思想的には、「筋金入り」の人物なのである。しかし、余りにも思想的に「筋金入り」の人が小説を書くのもどうかと思う。つまり、自分の思想に沿った説明の部分に、どうしても力が入り過ぎてしまうからである。この小説、米国で特殊工作員、つまりスパイとしての訓練を受けたハミルトンの物語。つまり、ジャンルとしては「スパイ小説」なのである。米国の後押しによるイスラエル建国によって、多数のパレスチナ人難民が生まれた、パレスチナ人を、ソ連を含む東側の国が支援していたというのが背景。つまり、作者としては、パレスチナ人に同情的、その政治的背景を説明する記述が実に長いのである。
「これ、スパイ小説、アクション小説なんでしょ?そこまで掘り下げなくても・・・」
と何度も思ってしまった。そして、その政治的な記述が、この小説を、長いと同時に、大変読みにくいものにしている。正直、このストーリー展開で、四百ページ越えというのはちょっと長過ぎる。最初は、読むのに非常に忍耐の必要な本だと思わせるが、途中からテンポが上がり、後半四分の一くらいは、リズミカルに読めた。最近の犯罪小説は、スウェーデンのみならず、章立ての短い、速い展開のものが多くなっており、読者にとっては読み易いものになってきている。この小説は、それ以前、読者がもっと辛抱強かった時代に属するものであろう。
「赤い雄鶏、ハミルトン・シリーズ」は、第一作の人気が出て、この後、全部で十三作が作られることになる。そして、このシリーズがギィユーの作家としての地位を不動のものにする。一九八八年には、三作目「I nationens intresse(国家のために)」で、「スウェーデン犯罪小説作家アカデミー賞」を受ける。映画化もされた。「赤い雄鶏」とは、ハミルトンが共産主義者であるところか来ている。彼は学生時代、「クラルテ」という社会主義者学生組織に所属(共産主義と社会主義は何処に線を引くのか知らないが)、その後も何度か中東を訪れ、パレスチナ人を支援する活動に加わっているという設定。その後、兵役中に、「共産主義者である」という理由で選抜され、米国のカリフォルニアで「特殊工作員」としての訓練を五年に渡って受けたということになっている。彼が選抜されたという理由が振るっている。
「共産主義者と戦うには、共産主義者の物の考え方のできる人間が必要。」
確かにその通り。「共産主義者のスパイ」というのが、このシリーズのユニークさであり、人気の源でもある。
元々、「赤い雄鶏」というのはフランス産の赤ワインの銘柄であるとのこと。あるイスラエルの高官がが、ハミルトンの上司、ネスルンドとワインを飲みながら話している際、ハミルトンが共産主義者であることを知った。
「じゃあ、『赤い雄鶏』と呼べば?」
とそのイスラエル人が言い、それがハミルトンのあだ名と、このシリーズの名前になった。
最近の本も読んでみようと思い、二〇一一年に刊行された「Brobyggarna(橋を造る人)」を購入。しかし、そのボリュームに驚いた。ペーパーバックなのに、八百ページなのである。厚さ五センチ。これを片付けるには数か月掛かりそうである。彼は歴史小説も手掛け、テンプル騎士団のアルン・マグヌッソン(Arn Magnusson)が登場する小説三部作がある。
また、ギィユーは作家のリサ・マークルンド(Lisa Marklund)や内縁の妻で出版人のアン‐マリー・スカルプ(Ann-Marie Skarp)と共にスウェーデンで最大の出版社の一つであるピラトフェルラゲット(Piratförlaget)社を所有している。(1)
ギィユーは、一九八一年に、学生時代を描いた自叙伝「Ondskan(悪魔)」(邦題:エリックの青春)を発表、これは二〇〇三年に米国で『Evil』というタイトルで映画化された。この映画は二〇〇三年度のアカデミー賞の候補作品となった。しかし、米国からテロリストとみなされているギィユーは、米国政府からヴィザの発給を拒否され、授賞式に出席することが出来なかった。(1)
2012年にテレビで放映された「ハミルトン」シリーズのポスター。
作品リスト:
カール・ハミルトン・シリーズ
l Coq Rouge – berättelsen om en svensk spion(赤い雄鶏、スウェーデンのスパイの物語)1986年
l Den demokratiske terroristen(民主的なテロリスト)1987年
l I nationens intresse (国家のために)1988年
l Fiendens fiende(敵の敵) 1989年
l Den hedervärde mördaren(名誉ある殺人者)1990年
l Vendetta(血の復讐) 1991年
l Ingen mans land(人のいない土地)1992年
l Den enda segern(平等な勝利)1993年
l I hennes majestäts tjänst (女王陛下のために)1994年(邦訳:白夜の国から来たスパイ、TBSブリタニカ、1995年)
l En medborgare höjd över varje misstanke (あらゆる疑惑に対する市民の高さ)1995年
l Hamlon – en skiss till en möjlig fortsättning (ハムロン、継続可能な青写真)1995年
l Madame Terror(マダム・テラー)2006年
l Men inte om det gäller din dotter(もしあなたの娘と関係なければ)2008年(エヴァ・ヨンセン・タングイと関連)
アルン・マグヌッソン(Arn Magnusson)シリーズ
l Vägen till Jerusalem (イェルサレムへの道)1998年
l Tempelriddaren(テンプル騎士団)1999年
l Riket vid vägens slut(道の終わりにある王国)2000年
l Arvet efter Arn (アルンの遺産)2001年
警察署長、エヴァ・ヨンセン・タングイ(Eva Johnsén-Tanguy)シリーズ
l Tjuvarnas marknad (泥棒市場)2004年
l Fienden inom oss(我々の中にいる敵)2007年
l Brobyggarna(橋を作る人)2011年
l Dandy(ダンディー)2012年
l Mellan rött och svart (赤と黒の間)2013年
l Att inte vilja se(見たくない)2014年
l Blå stjärnan(青い星)2015年
l Äkta amerikanska jeans(本当のアメリカ製ジーンズ)2016年
l 1968(1968年)2017年
l De som dödar drömmar sover aldrig(夢を殺す者は眠らない)2018年
l Den andra dödssynden(二度目の大罪)2019年
その他の小説
l Om kriget kommer (戦争が来たら1971年
l Det stora avslöjandet (大きな開示)1974年
l Ondskan(悪魔)1981年 自伝的作品、(邦題:エリックの青春、扶桑社、2006年)
l Gudarnas berg(神々の山)1990年
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(1) Wikipedia, the free encyclopedia, 日本語版「ヤン・ギィユー」の項より引用。
(2) マイ・シューヴァルとのインタビュー、The queen of crime、 2009年11月22日、英国「オブザーバー」紙日曜版で、シューヴァル本人が語っている。
(3) Stieg & Me, Memories of My Life with Stieg Larsson, Eva Gabrielsson, Orion, 2011、でかつてのパートナーが証言している。
(4) Coq Rouge, P. Piper & GmbH & Co. KG, München, 1988