ジーン・ボリンダー
Jean Bolinder
(1935年〜)
エステルイェートランド地方、ラッガルプ出身、作家、演出家、教育家
ボリンダーが70歳になったことを報じるHD紙2005年12月3日の記事より。
多作な人である。一九六七年から二〇一一年までに七十冊以上の小説と十作以上の戯曲を発表している。そのうち二冊の小説で、「スウェーデン犯罪小説作家アカデミー賞」を受賞している。それなのに、英訳、ドイツ語訳があるのは各一冊のみ。
「これには何か事情がある。」
と勘ぐらざるを得ない。
@ この人の作品が、よっぼど他国の人には面白くないか合わない。
A この人が自分の作品の翻訳版の出版を拒否している。
どちらかだと思う。ともかく、ボリンダーは徹底的に、スウェーデンのローカル人気に支えられている作家なのである。「過去の作家」、つまり、スウェーデンの犯罪小説が国際的になる以前の世代という訳でもない。彼は最後の小説を二〇一一年に上梓している。それは、スティーグ・ラーソンが「ミレニアム三部作」で、全世界を席巻した五年以上後なのである。その頃には、スウェーデンの犯罪小説とその作家は、全世界的に注目を浴びていた。
私は、英国と、ドイツの、北欧犯罪小説の解説書を五冊手元に置き、それを参考にしながら今の作業をしている。翻訳が出ていないということは、当然作品が英独の批評家の目に留まることもない。従って、それらの解説書には触れられていない。ただ、救いは一冊だけドイツ語訳で読めるということである。アマゾン・ドイツに注文したが、この時点ではまだそれを読んでいない。従って、紹介は、またまた、ウィキペディアの引用ということになるが、お許しいただきたい。
以下の原語はスウェーデン語である。
「ジーン・ボリンダーは、一九三五年、エステルイェートランド地方(Östergötland)のラッガルプ(Laggarp)で生まれたが、その後、家族と共にエンケーピング(Enköping)に移った。彼はモタラ(Motala)で高校に通い、その街の歴史を後に作品の題材にしている。ウプサラ大学で一九六四年に学位を取った後、一九七一年にルンド大学で文学博士号を取っている。
その間、彼は東部地方の劇場で演出を担当していた。彼は『栄えあるシグリッド(Sigrid Storråda)』、『ハムレット』、『奇妙なミックス(En konstig blandning)』を演出した。また、彼は、もっぱら小劇場で、ヴィルヘルム・モベリ(Vilhelm Moberg)の『貧しい農園のバージン・メアリー(Jungfru Maria på Fattiggården)を学生劇場で、テネシー・ウィリアムスの『変わった種類のロマンス(Strange kind of Romance)』をウプサラの市民劇場で、アウグスト・ブランシェ(August Blanche)の『ダーダネル氏と彼の祖国への復活(Herr Dardanell och hans upptåg på landet)』を初演した。それに加え、彼は三作の映画、『Hjernans storhet och fall(脳の偉大さと没落)』、SFAR受賞作である『flykt(脱出)』 、『Ur askan i Elden(火と灰の中から)』を演出した。
一九六四年に彼は妻のマリアンネと共に、教師として働くためにスコーネ地方に移る。彼らは、最初はボスタド(Båstad)次にビェレド(Bjärred)に住んだ。彼はボスタドで、ブランシェの唯一の現代劇である『Jenny eller ångbåtsfärden(ジェニー、あるいは蒸気船)』を演出している。
ボリンダーは一九七〇年代の活動のひとつは、『ヘルモス・リバー(スウェーデンで最初の通信教育の学校)』においてである。彼はその後、『リバーのスポーツ英雄(Libers idrottslexikon)や『モタラのオフィシャルな歴史(Motalas officiella historia)』を書いている。リバーの演劇の教科書として、彼はアストリッド・リンドグレンの三つの戯曲を出版している。出版業を経てから、彼はルンドのふたつのギムナジウムの上級クラスで、スウェーデン語、歴史、演技などの講師となった。彼は一度引退したが、ルンドの『クロースターキルカン(Klosterkyrkan/修道院に属する教会)』に、ダニエル・フェルトボリ(Daniel Feltborg)と共にペータースゴルド(Petersgård)演劇集団に演出家として登場した。
また、研究者として、彼は一九二二年に起こったアウグスト・ストリンドベリ(August Strindberg)の死の詳細についての研究にいそしんだ。」(1)
このように、スウェーデン語のサイトでは、ボリンダーの演出家としての側面に紙面を割いている。もちろん、七十作に渡る小説、十を超える戯曲を紹介した上でということだが。ともかく、ボリンダーという人は、演出家としても一流の人であり、地元の演劇集団の指導にあたっていたこと、また教育にも興味と貢献のあった人であることが分かる。
ウィキペディアの英語版は、少しだけだが、彼の作品に触れている。
「ジーン・ボリンダーはスウェーデンの作家である。彼のデビューは一九六七年の、犯罪小説『Skulle jag sörja då..(それを悼むべきなのか・・)』であり、そのなかでエランとマリアンネ・ブンディンのカップルを、事件の解決者として登場させている。ふたりは、その後の作品の中にもしばしば登場する。ボリンダーはリンケーピングで生まれているが、エンケーピングで育っている。彼はモラタで学び、その町の歴史は彼の小説の中に詳しく書かれている。彼は一九六四年にウプサラ大学で学位を取り、一九七一年にルンド大学で博士号を取っている。彼の生涯で、『Hjernans storhet och fall』、『flykt』、『Ur askan i Elden』の映画を演出している。」(2)
カップルが事件を解決するパターンがしばしば使われていたらしい。
唯一アマゾンで手に入った、一九七六年の作品、「Slutspel(終盤戦)を読んだ。(3)古さは殆ど感じられなかった。それどころか、楽しめる作品であった。一応、「スリラー」、「ミステリー」という範疇に入ると紹介されており、表紙にもそう書かれている。しかし、半分を過ぎても、書かれている内容は、主人公、フィッゲとマーギットの恋愛関係のことばかり。
「何故、これがミステリーなの?」
と考えてしまった。フィッゲとげマーギットは婚約する。しかし、マーギットは常に謎の多い行動を取る。そして、本の半分をかなり過ぎたところで、マーゲットが殺されという展開になる。彼女の死の背景を探るために、フィッゲが彼女の過去を訪ねる旅に出る。そこで、物語がミステリーの色を帯びてくる。そして、彼女を殺した犯人が判明する。それは・・・その意外さには思わず拍手を送らにはいられない。一見犯罪小説っぽくないが、殺人事件が起こり、裏に心理学を駆使した解決が用意されている。見事な構成である。
流れるような自然の会話が素晴らしい。スウェーデン犯罪小説界の会話の達人、オーケ・エドワードソンはボリンダーの流れを引いていると思う。そもそも、ボリンダーは小説家であるずっと以前から、劇作家であった。会話による物語の進行はお手の物なのである。
そして、詩として通用するような表現も素晴らしい。
「次第に春になった。青い夕方とステンドグラスのような空。」(4)
ヨーロッパで季節が春に向かうとき、これまで真っ暗だった朝夕の空が青みを持ち出す。そして、日の出の後、日没の前、空の雲が本当にステンドグラスのような模様と色を作り上げる。北ヨーロッパにいないと味わえない景色である。そして、それを、これほど短い言葉で表現するというのは、ほぼ詩人の領域である。
先にも書いたが、国、時代を越えて楽しめ、共感を得られる作家とその作品であると思う。返す返すも、スウェーデン以外では知られていないことが非常に残念である。
作品リスト:
ミステリーのみ(ボリンダーには百冊を超える著書と、十数編の戯曲がある)
l Skulle jag sörja då...(それを悼むべきなのか・・)1967年
l Livet är kort (人生は短い)1968年
l Liksom en leksak (おもちゃのように)1969年
l Högsta rätt (最高裁)1970年
l Och sedan, när också du är död (そしてあなたも死ぬ時が来る)1971年
l Och pistolen full av smärta (そして痛みに満ちた拳銃)1972年
l Livet är långt... (人生は長い)1973年
l Tio till att följa dig (detektivroman) 1974
l I rättan tid (定刻)1975年
l Då fick jag se en blekgul hast (その後薄茶色の馬を見るようになった) 1976
l Ett låst rum (鍵の掛かった部屋)1977年
l Slutspel (終盤戦)1977年
l Näktergalen (ナイチンゲール)1978年
l En detektivroman (ある探偵小説)1979年
l Fiktionen (フィクション)1980年
l Strindbergsmördaren (ストリンドベリを殺した者) 1982年
l Trollsländan (トンボ)1982年
l Den rätvinkliga triangeln (直角三角形)1983年
l Snövit och dvärgarna (白雪姫と小人)1984年
l För älskarns och mördarns skull (恋人と殺人者のために)1985年
l Dödisgropen (停滞氷群)1990年
l Berättelse för herr Hugo (フーゴー氏の物語)1993年
l Tack snälla döden (死をありがとう)1994年
l Fjärilseffekten (バタフライ効果)1995年
l Oskulden (イノセント)1997年
l Bröd över mycket tvivelaktigt vatten (疑わしい水の上のパン)1998年
l Dockan - en sommarsaga: roman om ett mord? (人形夏物語、殺人についての小説?)1999年
l Du Janne! (ヤンネよ!)2000年
l Vilddjuret: kriminalroman om en ond tid (野獣:邪悪な時代の犯罪小説)2001年
l Målsökande robot (標的ロボット)2011年
***
(1) Wikipedia, the free encyclopedia, スウェーデン語版‘Jean Bolinder’の項より引用。
(2) Wikipedia, the free encyclopedia, 英語版‘Jean Bolinder’の項より引用。
(3) Endspiel, 1979, Europabuch AG, Landau/Pfalz,
(4) 同上、57頁