リーフ・ペルソン
(Leif G. W. Persson)
(1945年〜)
ストックホルム出身、作家、犯罪学者
「2013年イェーテボリ・ブック・フェア」のパンフレットより
ペルソンは「スウェーデン推理作家アカデミー賞」を過去三度回受賞している。一九八二年、二〇〇三年、二〇一〇年である。これはすごいことだ。過去三回受賞したのはペアソンの他にホーカン・ネッセルしかいない。その他、複数回の受賞者には、ヘニング・マンケル、オーサ・ラーソン、オーケ・エドヴァルドソンなど、北欧のみならず、全世界で名を挙げた作家が連なっている。また、ペルソンは二〇一一年に、北欧四国の犯罪小説の賞である「ガラスの鍵賞」も受賞している。ここにも歴代の受賞者として、ヨー・ネスベー、スティーグ・ラーソンなど、商業的にも成功した作家が並ぶ。
不思議なことに、それらの受賞作家に比べると、ペルソンの名前は欧米においても、日本においても、格段に知られていない。例えば、オンライン百科事典のウィキペディアで、スウェーデン語以外のページは少なく、その記述も驚くほど短い。(1)これほどスウェーデン国内で知られた作家が、国外で余り翻訳されない、つまり読まれる可能性が少ない、ひいては、商業的に成功しないと判断されているのは、何故だろうか。
そんな疑問を持って、「Samhällsbärarna (社会の担い手)」を読んでみた。一九八二年に出版され、その年の「アカデミー賞」を受けた作品である。
日曜日の夜、ひとりの男が酔っぱらって警察に保護される。彼は、警察の保護施設、いわゆる「トラ箱」に入れられる。しかし、その日の深夜、その男が重傷を負っているのが、施設の房の中で発見される。最近、ストックホルム警察署、凶悪犯罪部長に就任したばかりのマルティン・ヨハンソンはその事件に興味を持つ。
「誰が、警備の厳重な警察署の中に忍び込み、房の中にいる人間に暴力を加えることができるのか。」
彼は、ヴェスレンとヤンソンというふたりの部下に捜査を命じる。そして、そこに浮かび上がってきたのは、警察内部の犯罪であった・・・
と言うことで、この小説の中には、警察の内部の様子、警察官の言動の描写が多い。しかし、スウェーデンの警察官というのは、ずいぶん荒い、乱暴な言葉を使うものだ。まず、その言葉に驚き、嫌悪感受けてしまった。スウェーデンの警察小説では、大学を出て、警官になった人物はほとんど登場しない。兵役の後、すぐに警察学校へというパターンが普通らしい。
私はこの小説をドイツ語で読んだので、スウェーデン語、オリジナルでの言葉遣いは分からない。しかし、スウェーデン語からドイツ語への翻訳者も、何とか原文のニュアンスを伝えようと苦労しているはず。そして、そのドイツ語から判断すると、この小説は、警察官たちがごく普通に話す言葉で書かれていると予想される。俗語、卑語、罵りのオンパレード。そして、文の一部だけが話され、文が完結しない場合も多々ある。この辺り、現場の警察官の荒々しい調子を作家は伝えようとしているのだろうが、読んでいる方はかなり辛い。「生々しすぎる表現」、それがペルソンの作品が、他国で読まれることを妨げている、ひとつ原因のように感じる。
次の要因として、突然現れる難解な、哲学的とも言える表現がある。
「時間とは、絶え間なく揺り動かされる、巨大なふるいである。人や物、考えなどがバラバラに投げ出され、くっつき、離れ、分けられていく。出来事や現象は塵のように忘却の中に消え、まったく気づかれることなく追い去られていく。それが常に起こっている。我々は起こっていること全体のほんの一部しか見ていない。もし、自分たちとある他人の間だけに起こったことに限ったとしても、相対性理論信者が好む、荒れ地に愚かに生える草の葉から目をそらしたとしても・・・」(2)
この方丈記の冒頭にも似た、哲学的な記述、一読しただけではほぼ理解不能。何度も読んでいるうちに、ようやく何とか分かったような気になる、そんな表現が、頻繁にちりばめられている。これらの表現は、外国の読者、単なるミステリー愛好者には、結構高いハードルである。
いきなり固有名詞を使わないで、「彼」、「彼女」で書き始め、徐々に読者にそれが誰か分からせていく手法。読者の注意を引き付けるには良いかも知れない。多くの作家が使う手法である。しかし、あまり多用されると読む方が疲れてしまう。
「これは一体誰なのだ。」
と考えながら、延々と引っ張られるのはちょっと辛い。ペルソンの文章には、このパターンが多く、「彼」、「彼女」が誰か分かるのに時間が掛かることが多い。
はっきり言って、ぺルソンは、自分の小説が、多くの読者に読まれることを拒否しているのではないかと思ってしまう。英国人の批評家バリー・フォーショーは、その著書の中で、ペルソンに対して次のように述べている。
「読者に、息も尽かさずページをめくらせるというタイプの作家ではない。彼の淡々した語りに慣れないとかなり苦痛であり、ペルソンはそれに耐えられる読者だけに書いているように思われる。」(3)
しかし、彼の小説が(少なくともスウェーデン国内では)ベストセラーになり、彼が「アカデミー賞」を異例の三回も受賞しているという事実もある。そこにはそれなりの魅力が潜んでいるはず。それは何かと考えてみる。やはり、「スウェーデン社会の問題を突いている」からだと思えてくる。少なくとも、「社会の担い手」の中では、警察権力の行使という点で、そのやり過ぎにスウェーデン国民が反感を抱いており、ストーリーが国民の共感を得られているからだと思う。
ペルソンは犯罪学の教授であり、警察の顧問である。「社会の担い手」に関して言えば、そのような警察権力に極めて近い人物が、警察の腐敗について鋭くメスを入れたということで、説得力がある。その説得力がこの小説の魅力であると同時に、その説得力が、スウェーデン以外の読者には伝わりにくいということであろう。「社会の担い手」というタイトルが良い。警察は、自分たちが「平和な社会の担い手」だと宣伝しているが、実は・・・というところ。
先ほども述べたが、ペルソンは「犯罪学の教授」であり、「警察の顧問」であるという。彼の経歴の紹介については、ウィキペディアの英語版を使用させていただく。
「一九七七年、スウェーデン国家警察委員会で働いていたペルソンは、ジャーナリストのピーター・ブラットと共に、いわゆる『イェイヤー・スキャンダル』に関する告発者となった。その告発の中で、カール・ペルソン国家警察委員長がオロフ・パルメ首相に送った機密文書を確認したレナルト・イェイヤー法務大臣が、ストックホルムの売春斡旋業者と関係していることに疑いの目を向けた。この事件により、ペルソンは国家警察委員会から解雇され、その後の展開により、彼は一旦自殺を考えたほどだった。しかし、彼は間もなくストックホルム大学で講師に復職を果たす。売春斡旋事件は、彼は最初の小説「Grisfesten(豚の党)」の題材となった。そして、一九九二年には、教授としてスウェーデン警察庁に戻った。
ペルソンは、一九九二年から二〇一二年まで、スウェーデン国家警察庁委員会で犯罪学の教授を務めた。彼はスウェーデンの犯罪小説の作家として、また、テレビや新聞において、犯罪事件の専門家としての定期的な出演者としてよく知られている・・・」(4)
つまり、ペルソンは、犯罪学の教授であることにより、多くの犯罪のパターン、それに対する捜査のパターンについて熟知している人物なのである。したがって、犯罪小説の作家としては、題材に困らない人だと考えられる。また、スウェーデンにおける彼の人気も、彼の作品もさることながら、マスコミを通じて、スウェーデン国民には「顔なじみ」の人物であることも影響していると考えられる。半面、「顔なじみ」でない他の国民にとっては、彼の作風も影響して、「とっつきにくい」ということになる。
結果的に、スウェーデンの犯罪小説が、「全世界」に行き渡るようになるには、ヘニング・マンケルを待たなくてはいけない。ペルソンは、まだ、それ以前の世代の人であった。
前述の引用にもあった、「オロフ・パルメ首相暗殺事件」だが、スウェーデンでは、多くの犯罪小説作家が、この事件を直接的、間接的に題材としており、これを最初に紹介することは大切だと考える。また、ウィキペディアの項目を引用させていただく。
「一九八六年二月二十八日、午後十一時二十一分、スウェーデン首相、オロフ・パルメ(Olof Palme)が、ストックホルムの中心街を、妻のリズベット・パルメ(Lisbet Palme)と映画館に向かって歩いている途中、何者かに銃撃された。首相は即死、リズベットにも二発命中したが軽傷だった。その当時、首相夫妻はボディーガードを持っていなかった。以前に傷害致死罪で起訴されたことのあるクリステル・ペターソンという男が、容疑者として逮捕され、一九九八年に殺人罪で有罪判決を受けた。しかし、控訴裁判所はそれを覆し、彼は無罪となった。 検察官が提出した新たな裁判の申立ては、スウェーデン最高裁判所によって却下された。 ・・・ この事件は未解決のままであり、陰謀説を引き起こしている。」(5)
「この当時、首相夫妻はボディーガードを持っていなかった」という点は、特記に値する。つまり、当時は、首相が護衛なしで、街を歩けるほど、スウェーデンは「安全」な国であった。事実はどうあれ、国民はその安全さを認め、それに満足していたのである。そこに、突如、首相暗殺事件が起こったというショック。そして、結果的に、警察と検察は、その犯人を挙げることができなかったという事実。それは、スウェーデン国民にとって、二重の衝撃であったに違いない。しかし、その事件は、「安全な福祉国家、スウェーデン」、「自分の国だけは大丈夫」というスウェーデン国民の夢を崩し、否応なしに現実に目を向けさせるきっかけとなった。この後、折に触れて、「オロフ・パルメ首相暗殺事件」が、その後のスウェーデンの社会、また、犯罪小説の世界にどのような影響を与えていったのか、述べていきたい。
オロフ・パルメ、26代スウェーデン首相、1927−1986、ウィキペディアより。
作品リスト:犯罪小説のみ
l Grisfesten (del 1 i en inledande trilogi) (豚の党、初期三部作の第一部)1978年
l Profitörerna (del 2 i en inledande trilogi) (利益、初期三部作の第二部)1979年
l Samhällsbärarna (del 3 i en inledande trilogi)(社会の担い手、初期三部作の第三部)1982年
l Mellan sommarens längtan och vinterns köld (del 1 i trilogin Välfärdsstatens fall ) (夏の憧れと冬の寒さの間に、福祉国家三部作の第一部)2002年
l En annan tid, ett annat liv (del 2 i trilogin Välfärdsstatens fall (別の時間、別の人生、福祉国家三部作の第二部)2003年
l Linda - som i Lindamordet (リンダ、リンダ殺人のように)2005年
l Faller fritt som i en dröm (del 3 i trilogin Välfärdsstatens fall)(夢の中の自由落下、福祉国家三部作の第三部)2007年
l Den som dödar draken (誰がドラゴンを殺すのか)2008年
l Den döende detektiven (瀕死の刑事)2010年
l Den sanna historien om Pinocchios näsa (ピノキオの鼻の真実)2013年
l Bombmakaren och hans kvinna (爆撃機と彼の妻)2015年
l Kan man dö två gånger? (二度死ぬことができますか?)2016年
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(1) 二〇一八年十一月五日現在、ウィキペディアで「ペルソン」の項は七か国語のみで記載、日本語はなし。それに対して、ヘニング・マンケルは五十か国語で項目が作られている。ホーカン・ネッセルは十八か国語である。
(2) 同小説のGabriele Haefsによるドイツ語訳、’In gutter Gesellschaft’、2005、 btb Verlag, 166ページ より引用。
(3) ‘Death in a Cold Climate、A Guide to Scandinavian Crime Fiction’、Barry Forshaw、2012、Palgrave Macimilian、56ページより引用。
(4) Wikipedia, the free encyclopedia, 英語版、‘Leif G. W. Persson’ の項Careerより抜粋。
(5) Wikipedia, the free encyclopedia, 英語版‘Assassination of Olof Palme’の項より抜粋。