はじまりはじまり
開演を待つロイヤル・アルバアート・ホール。下の人たちは立ち見である。
前章で引用した短いエピソードからインスピレーションを受けて、しっかり一編の戯曲を作ってしまう「劇作家」という人種の想像力には驚嘆するしかない。ここで登場するヘロデ王とは、ユダヤのヘロデ大王の息子であるヘロデ・アンティパスであるとのこと。彼は当時古代パレスチナの領主であった。彼は弟の死んだ後、その妻ヘロデヤと結婚し、それは人の道に反するとするヨハネを捕らえて投獄したと言うわけだ。オペラではヨハネは「ヨカナーン」という名前で登場する。
このサロメという女性、まだ十六歳なのだが、男を狂わせる魔性のようなものを持っており、義父も彼女をいやらしい目で眺め、衛兵隊長も彼女に狂ってしまう。彼女も自分の魅力は十二分に承知している。それだけに、預言者ヨカナーンが自分の「女としての魅力」を完全に無視したことに怒り狂い、
「このわたしの魅力を『コケ』にするなんて、絶対許せへん。」
と、復讐を誓うのである。
午後七時半、照明が落ちる。例によって、写真は撮るな、携帯を切れとのアナウンス。
「いよいよ始まるよ。」
ミドリに言う。舞台では、まずオーケストラの人々が登場。クラリネットを吹く、友人の甥御さんもその中におられるのだろうが、遠すぎて分からない。拍手に迎えられて指揮者のドナルド・ラニクルスさんが登場。より大きな拍手に迎えられて、サロメ役のニーナ・ステメさん他、歌手の面々が登場。女性歌手は長いドレス、男性歌手はタキシードで、役のための衣装は身に着けていない。
僕は「予習」のために購入したDVDは、今回の公演と同じく、ベルリン・ドイツ・オペラのものだった。しかし一九九〇年、つまり二十五年近く前の録画。指揮者をしているのはジュゼッペ・シノーポリさんである。オペラの指揮者としては結構有名で、多分有能な人だったのだろうか、もう十年以上も前に亡くなっている。ベルリン・ドイツ・オペラで「アイーダ」の指揮中に心臓発作で倒れてそのまま亡くなったのだ。本番中に倒れたので、当時は結構話題になった。
オペラは、序曲なし一幕四場で構成されている。
第一場は、ヘロデ王の宮殿の庭。今夜はヘロデ王が奥の間で、宴会を繰り広げている。見張りに立つ衛兵隊長ナラボートは、宴会に出ているプリンセス・サロメに目を奪われている。彼の家来が、
「隊長はん、あれは、魔性の女や。あんな女を好きになったらロクなことがないし、やめときなはれ。」
と部下が隊長に忠告するが、ナラボートは完全にサロメに「いかれて」しまっていた。
しばらくすると、預言者ヨハナーンの声が聞こえてくる。彼は、捕らえられ、地下牢に入れられているのだ。そして、彼と接触することは、王の命令によって厳しく禁じられていた。
開演を待つ「おめかし」したミドリ。