カガメ大統領の政策

 

学校が終わったらしく高校生が沢山道を歩いている。英連邦の国らしく制服がある。

 

ルワンダの主要道路を走っていると、道路は完璧に整備されているし、道路脇にもゴミひとつ落ちていないことに驚く。また、道路脇を箒で掃いたり、草むしりをしている人も沢山見た。英国の方が道路も悪いし、ゴミが多い感じ。

「今の大統領、ポール・カガメの時代になって、ゴミのポイ捨てが禁止され、違反者には高額の罰金が科せられるようになったんです。」

エマヌエルさんは言う。なるほど。そう言えば清潔さが売りのシンガポールも、ゴミのポイ捨てに対して高額の罰金があると聞いた。

道路脇には貧しい家も多い。首都を離れると、泥を固めたいわゆる「日干しレンガ」で作った家も良く見る。また、ポンプで水を汲んで、それを入れたポリタンクを自転車に乗せて運んでいる少年たちも見た。それらの貧しい暮らしと、ゴミひとつない道路が、何となく不似合いに感じるときもある。

もうひとつ、ルワンダで徹底しているのが、ポリ袋の使用禁止。英国では「プラスチックバッグ」と呼ばれるが、スーパーやコンビニで買い物をしたときに入れてくれるあの袋である。環境に悪いということでルワンダでは禁止されていて、スーパーで買い物したときは、紙袋に入れてもらうか、布製の袋を持参しなければならない。英国ではスーパーで無料のポリ袋を配布することは禁止されたが、ポリ袋そのものは禁止されていない。この辺り、環境に悪いものをズバリと禁止したルワンダの政府に敬意を表したい。

午後五時ピッタリに僕たちはキガリのGさんのアパートに着いた。

「帰りはおそらく五時になるでしょう。」

と昨日出発の際にエマヌエルさんが言っていたのを思い出す。何という完璧なアレンジメントであろうか。さすが五百回くらいアカゲラ国立公園ツアーをしているエマヌエルさんである。エマヌエルさんに二日分の日当を払い、お礼を言って分かれる。二日間揺れのひどい車に乗っていたので、降りてもまだ身体が揺れているような気がした。

 ここで、ルワンダの言葉について触れておきたい。このエッセーで、度々、ルワンダの人々と僕たちの会話が登場するが、それらは全て英語である。ルワンダには元々、キニヤルワンダという現地語がある。部族によって異なった言語が存在し、ひとつの国でも複数の言語が存在することの多いアフリカでは、一国家一言語であるルワンダは、極めて稀な存在だという。キニヤルワンダは、ケニアやタンザニアなどの東アフリカの国々で話されているスワヒリ語に似ている。アフリカ生活が長いGさんが、スワヒリ語で話すと、大抵の人はそれを理解した。ルワンダはかつてベルギー領であったので、当時は公用語がフランス語であった。それで、今でもフランス語を話す人が多い。キガリでは英語が通じるが、地方へ行くと、キニヤルワンダかフランス語しか分からないという人が多かった。

 ここからが、再びルワンダ政府の英断である。大虐殺の後、カガメ政権は、公用語を英語にスパッと変えてしまった。学校で授業も英語で行われるようになった。

「どうして、学校の授業が英語なのに、英語を話せない人がいるの。」

と言おうとして、僕は言葉を呑んだ。中学と高校で六年間英語をやっても、英語を話せない日本人はいっぱいいるものね。

国立公園から戻った翌日の未明、仕事のある妻が一足先に英国に戻る。ナイロビ経由だという。

 

ルワンダの典型的な風景。緑の丘に貼り付くように、家が建っている。水田や、コーリャン畑、バナナの木が見える。

 

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