気分はマヨルカ島
旧市街に立つ城壁の門。当時の街は城壁に囲まれ、所々に門があった。ノイスにはそれらがよく残っている。
六時を回ったので、デートレフの家に行くことにする。
「ワイフがパエリアを作っているからね。」
とのこと。スペイン料理と炊き込みご飯が好きな僕にとっては楽しみなメニューである。デートレフはスペインのマヨルカ島が好きで、毎年そこでホリデーを過ごしている。
これまで何度も行ったデートレフの家で、五年ぶりくらいに奥さんのビアンカに会い、花束を渡す。その夜は、スペインの酒「サングリア」を飲みながらパエリアを食べた。ふたりは、
「四週間後に今の仕事を辞めて、その後は外国人に日本語を教える教師として生きていく。」
という僕の計画を、ふたりは興味深げに聞いていた。今日最初にデートレフに会ったときは、普段使い慣れていないドイツ語を話すのにちょっと時間が掛かったが、夜になると頭がドイツ語に慣れ、しかもアルコールも入っているので、自分でも驚くほどドイツ語がスムーズに出た。途中で詰まったり、間違えたりすると、デートレフが助け舟をくれるので助かる。美容師をやっておられる奥さんのビアンカも僕にとって十数年来の知り合いで、すごく明るい人で話していて楽しい。嬉しいのは、ふたりとも、
「モトには潜在能力がある。やれば何でも出来る。」
と励ましてくれることだ。こんな友人は貴重だと思う。
このデートレフという人、メチャ気の付く人である。飲み会の幹事など頼めば、完璧な準備と段取りをしてくれる、そんな人。何と、これまでの自分の上司全員に(会社を辞めたり、定年退職をした人も含めて)毎年誕生日のメッセージを送っているという。
「そんな人、世の中に何人いるかな。」
と思ってしまう。
翌朝、昨日のライン河まで散歩をしようと、朝七時過ぎにデートレフの家を出たが遠すぎて途中で戻ってきた。(後で聞いたがライン河まで往復十キロだという。)
「良く眠れた?」
とデートレフ。
「Wie einer Tote. (死んだように眠った。)」
と僕。今日もなかなかドイツ語は好調。
十時半過ぎに、ノイスを発って、次の目的地ボンに向かう。デートレフがノイス駅まで車で送ってくれた。朝食は黒パン、ハム、チーズ、レーバーヴルスト(レバーのパテ)、ゆで卵という典型的ドイツの朝ごはん。(いつもはコーンフレークなのだが、僕のためにわざとドイツ風にしてくれたとのこと。)駅に向かう途中、デートレフが、自分が十歳から三十五歳までプレーしていたサッカーチームのスタジアムに案内してくれた。ドイツでは珍しく、芝生ではなく、甲子園球場のような柔らかい黒い土のグラウンドだった。
ビアンカの作ってくれたパエリアを食べる。これを食べれば気分はもうマヨルカ島。