出発の前には必ず何かが起こる
アムステルダム・スキポール空港でハイネッケン・ビールを飲みながら出発を待つ。
日本へ出発する前日、朝五時半に目を覚ますと電話が鳴っている。
「おい、電話、どうせあんたのお母さんからやろ。」
と隣に寝ているはずのマユミを起こそうとするが、彼女がいない。外に出てみると、車がない。彼女は昨夜、ダンスの練習に行くと言って、夜に出かけたことまでは覚えている。
慌てて妻の携帯に電話する。ダンスの帰り道、交通事故に遭って病院に運ばれたけれど、怪我はそれほどひどくなく、間もなく家に戻れるとのことだった。ただ、車はかなりひどく壊れたらしい。
妻の無事が分かったので、遅まきながら会社に行くことにする。僕の会社はロンドンの西のはずれのヒースロー地区にあり、北ロンドンの僕の家からは、車がないと通勤できない。タクシー会社に電話をし、ヒースロー空港まで送ってもらい、そこでレンタカーを借りることにする。翌日、ヒースローからアムステルダム経由で大阪に向かうので、そのときにレンタカーは返せばよいのだ。
ヒースロー空港のレンタカー・カウンターで車を予約し、マイクロバスで車の停まっている場所まで向かう。書類に記入をして、パスポートと英国の運転免許証と、クレジットカードを出す。
「公共料金の領収書か、銀行のテートメントをお持ちじゃないですか。」
と黒人の兄ちゃんが聞いてくる。こちらの銀行は預金通帳がないので、毎月の出し入れを印刷した「ステートメント」を送ってくるのだ。
「銀行はインターネットバンキングやし、公共料金は口座からの引き落としや。そんなもん持ってへんよ。」
と答えると、住所を証明するものがないと、車は貸せないという。
「そもそも、このご時世、そんなん持ち歩いているひとが世間にいる?」
と文句を言うが、規則を変える権限はその下っ端のお兄ちゃんにはない。結局レンタカーは借りられず、僕は再びマイクロバスで空港のターミナルまで送ってもらい、そこからバスで会社まで行き、二時間遅刻の九時から仕事を始めた。
マユミとは何度も連絡を取る。事故の相手の二十九歳の女性は飲酒運転だったらしい。保険会社との会話では、こちらに有利な気がした。これまで十年以上僕の手足として故障もせず頑張っていた「BMW五二五I」は大破して「全損」、つまりスクラップなることになった。
その日は、弁護士や保険会社から職場に何度も電話があった。仕事を始めたのが遅かったので、オフィスを出たときはもう五時過ぎ。車がないので、近くの駅からパディントン行きの電車に乗り、地下鉄を二度乗り換え、最期にまた電車に乗る。順調に言っても二時間の行程。もう最初の乗り換えのパディントンで嫌になり、パブに入ってビールを飲む。明日から一週間の休暇。そして、休暇の前には決まって何かが起こる。
京都に帰って真っ先にやりたいこと、それは銭湯、船岡温泉に行くこと。