枯れたミュージカル
カーテンコール。ヴァルジャン、マリウス、コゼット役。
芝居が跳ねたのは午後十時半。早寝早起の僕がいつもならもう布団の中にいる時間だ。チャイナタウンを抜けて、地下鉄のレスタースクエア駅に向かう。繁華街だけあって、まだまだ人通りが多い。昼間より多いくらい。気合の入った格好をした、若いお姉ちゃんたちとすれ違う。初夏の夜の風が心地よい。何となく一杯飲んで帰りたい気分だが、明日の朝も早いのであきらめ、真っ直ぐ家に戻ることにする。
歩きながら、僕はこのミュージカルの魅力について考えてみた。二十六年間もやっていてその結果そうなったのか、そうだから二十六年間も続いたのかは分からないが、一口に言うと、「こなれている」「枯れている」という印象。数多くのエピソードが詰め込まれていながら、それでいて過不足のない、淡々とした舞台だという印象を受けた。段取り良く、お腹が張らない程度に用意されたフルコースの料理を、次々と味わっているような気分とでも言うのだろうか。
「確かに、誰もが楽しめる、家族で楽しめるミュージカルだわ。」
僕はそう呟いた。
今日の切符は二十九ポンド(約四千円)。夕食は家で済ませてきたし、幕間に飲む物は、冷やした白ワインを小型魔法瓶に入れてきたし、往復の電車賃を入れても五千円以下で済んでいる。それでこれだけ楽しめたのだから、今日の「コストパーフォーマンス」は結構高かったような気がする。
「レ.ミゼラブル」の物語、ポイントは「相手を許す」ということだろうか。司教は自分の家に泊めた恩義も忘れて銀器盗んだヴァルジャンを許す。ヴァルジャンはそれで更生して「真人間」になる。今度はヴァルジャンがスパイとして処刑されかかったジャヴェールを助ける。そして、最後、ジャヴェールは負傷したマリウスを担いで地下水道から出てきたヴァルジャンを許す。しかし、そのことはジャヴェール自身には堪えられないことで、彼は自殺する。「汝の敵を愛せ」、福音書にあるイエスの言葉だが、その意味では、この物語、結構キリスト教的とも言えるかも知れない。
十一時過ぎ、家に帰ると、息子もちょうど帰宅したところだった。
「パパ、こんな遅くまでどこにいたの。」
と息子が尋ねる。
「『レ・ミゼラブル』を見てた。二十九ポンドで楽しめたよ。」
「ふうん、それは良かった。」
息子は言った。
夜更けのチャイナタウンを通って地下鉄の駅に向かう。
<了>
参考文献:
Wikipedia: 「Les Misérables (musical)」の項、「レ・ミゼラブル(小説)」の項
写真は、各劇場およびチケット販売業者のホームページ、また、このミュージカルのレビューのページより拝借した。