流木

森の中にひっそりと残る、かつての金鉱労働者の墓地。

 

カラメアの街から更に北へ行く。未舗装の道だが、まだ道があったので、ともかく最後まで行ってみようと思ったのだ。牧場と海岸の間の道を、砂埃を上げながら三十分ほど行くと、キャンプ場があり、そこで道が終わっていた。川があって、その向こうには道がなかった。十組くらいの人々がキャンプをしている。天気は良い。日差しが海の方から照り付け、海がキラキラと輝いている。しかし、ここも西海岸、空気に湿気がある。砂浜には波で洗われた流木が沢山転がっている。その形が、前衛美術のオブジェのようで面白い。小さめのやつをひとつ拾って帰る。

帰り道、カラメアから、オーストラリア人の青年を乗せる。これまで、ヒッチハイカーは何人も乗せたが、話していて彼、ヘイミシュが一番面白かった。

「オーストラリア人とニュージーランド人の共通点は何か、相違点は何か。」

という点について、彼は色々話をしてくれた。やはり、隣国だし、歴史も似かよっているし、「似ている」ということになった。しかし、オーストラリアとニュージーランドの先住民の話は面白かった。ニュージーランドは、ラグビーのナショナルチーム「オールブラックス」が、試合の前に先住民マオリの「戦いの踊り」をするように、マオリの文化が、白人社会の中にも浸透している。しかし、オーストラリアでは、先住民アボリジニーの文化が、社会の中に余り残っていないという。この一番の原因は、

「マオリが、一つの言葉、共通の言葉を持っていたのに対して、アボリジニーは共通の言葉をもっていない、つまり、部族ごとに、別の言葉を話していたんだ。これがアボリジニー文化が一般化するのを妨げる最大の原因だ。」

とヘイミシュは主張する。ウェストポートで彼を降ろす。荷物を降ろす彼を見ていて思わず微笑む。彼もカラメアで流木を拾い、それを持っていた。

 翌朝はモーテルでゆっくりし、午後十時に帰路につく。途中、金鉱の後を訪れる。ニュージーランドでも十九世紀の終わりに、ゴールドラッシュがあったらしい。金鉱跡の森の中を歩いてみる。やたらサンドフライが多い。森の中に、かつての鉱山労働者の墓地があった。墓標に刻まれた名前と、亡くなった年月、年齢を見る。皆が三十代、四十代、若くで死んでいる。一攫千金を夢見てここへ来て、ここで死んでいった人たちが、最後に思ったことは何だったのだろう。

更に進むと「ニュージーランドで一番長いつり橋」というのがあった。長さは五十メートルくらいある。吊り橋の横にロープが張ってあり、そこを滑車を使って、滑り降りることもできる。

マーチソンの町で昼食。博物館の横に地震の記念碑がある。この辺りは一九二九年、大地震に襲われたという。三陸沖の大地震の二ヶ月ほど前、ニュージーランドのクライストチャーチで大きな地震があり、数多くの犠牲者がでたことは記憶に新しい。ニュージーランドも日本と同じように、地震国であるのだ。 

 

ニュージーランド一長い吊り橋の横を滑り降りる女性。水面までは二十メートル近くある。

 

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