炭焼き、その二
窯の蓋を開ける。緊張の一瞬。
マーチソンからアメリカ人の若い男女を乗せる。大雪の米国、女性の出身地、アトランタでも今年は二十センチ以上雪が積もったという。
「これまで、せいぜい積もって数センチ、昼には消えてたの。今年は本当に大変だったわ。」
と彼女は言った。西海岸からSさんの農場に戻った日、インターネットでは日本の関東、甲信越での大雪のニュースを伝えていた。しかし、自分がこんな天気の中にいると、雪や寒さのニュースがピンと来ない。
僕がニュージーランドを発つ前日、炭の窯が開けられた。火をつけて六日後である。昼前に、ペーターがやってきて、蓋の上の砂を取り除き、窯の蓋を開ける。
「タラ〜。」(日本語で『ジャジャジャジャ〜ン』)に当たる。)
窯の中でも、程良く焼けている部分と、白く灰になっている部分がある。良い炭は固く、表面が銀色をしており、触っても手が黒くならない。叩くと、「キンキン」という金属音がする。ギッシリと窯に詰めた木の容積が、六割くらいに減っている。窯に入れる前の木と、窯から出した木の大きさを比べると、どれだけ縮んだかが分かって面白い。輪切りにした木は、年輪をくっきりと残したまま炭になっている。
最後の日の午後は、リバーサイドのカフェで、日本人女性のMさんと一緒に昼食を取った。僕は彼女の推薦してくれた「奇跡のリンゴ」の本をSさんから借りて読んでいた。
「農薬漬けで、農薬がないと育たないリンゴと、薬漬けで、薬がないと生きていけない人間は同じなのかも。もっと、自分の力で生き延びる強さを育てないと、人類は滅亡するかも。」
と僕は思うようになった。
その後、シローとラニ、ペーターとメヒティルトの家にお別れを言いに行く。ラニもメヒティルトも、事もなげに言った。
「そう、モトは明日戻るのね。で、次は何時来るの?」
う〜ん。何時来るのだろうか。しかし、この土地、死ぬまでに、もう一度は訪れるような気がする。ちょうどナシを収穫中だった、ラニと娘のアーラは、ナシをくれた。甘くて、ジューシーで、今まで食べた中で一番美味しいナシだった。ペーターが最後に言った。
「十年以上農場で作物を育てているけど、年によって、ある作物が良くできる年と、不出来な年がある。でも、何が原因なのか、本当のところはよく分からない。自然とは奥深いものなのだ。」
「でも、分かったようなことを言う人はいるよね。」
僕がそう言うと、
「そういう人は『グル』と呼ばれるのだよ。」
そう言ってペーターは笑った。
最後の夜、SさんとKさんがバーベキューをしてくれた。炭はもちろん、その日、窯から出したものである。
良く焼けた炭は、細かい年輪も、そのまま残している。