金閣寺
伏見稲荷に詣でる着物の女性。何て日本的なんでしょう。
京都は、私が生まれ育った場所です。自分で言うのも「手前味噌」ですが(日本語では、自分の物を自分で褒めることをそう言います)、確かに京都は良い町です。他の土地にも、美しい風景はもちろんあります。しかし、京都はそれが凝縮されているというか、密度が他の場所よりも高いと思います。つまり、ちょっと歩けば、すぐに美しい風景に出会えるということです。これくらいの密度を持っている場所、私の知っている限りは世界中でベニスくらいしかないと思います。
先ほども書きましたが、日本を発つ前々日、私は伏見稲荷を訪れました。神社の建物もきれいですが、何と言ってもここの魅力は裏山にある鳥居のトンネルです。今から、百十年以上前、ここを訪れた英国人の写真家ポンディングはその紀行文の中で次のように書いています。
「稲荷の境内を歩いて回れば優に三マイルはあるだろう。方々にある社殿や、鳥居が並ぶ長い道を巡り歩けば、何時間もそこで過ごすことができる。鳥居はところどころで極く接近して建てられているので、隣とほとんどくっつきそうになって、長くつながったアーチのように見える。鳥居の大きさは六インチくらいのものから十五フィートの高さのものまであり、社殿の周りに積み重ねるように置いてある極く小さいものまで数えれば、おそらく何千何万という数になるだろう。これらの鳥居は黒の下地の上を朱色に塗ってあり、木立の濃い緑と華やかな対照をなしている。」
今、百十年前に書かれた文章を引用しました。そして、私には何か付け加えるもの、何も修正するものが見当たらないのです。百年以上前に書かれた記述がそのままピッタリ当てはまる、つまり百年前の世界がそのまま今もある、それが京都の良さなのだと思います。
京都を発つ前日、金閣寺を訪れました。伏見稲荷はバスと電車を乗り継いでいきましたが、金閣寺は私の母の家から歩いて十五分くらいのところにあります。
「モトの家は京都のどの辺り?」
と誰かに聞かれたら、私は
「金閣寺の近く。」
と答えることにしています。これで、京都を訪れたことのある人なら、九十パーセントに人に方角を理解してもらえます。
余りにも頻繁に前を通っているので、「訪れた」と改まって言うのは少し変な感じがします。その日の朝、私は母に頼まれて、聖書の中の句を、墨と筆で書くという作業をやっていました。「ジャパニーズ・カリグラフィー」、「書道」というものです。久しぶりに筆を持つとなかなか思ったような字が書けません。歯がゆい思いをしていたところでした。金閣寺の門をくぐって中に入ると、「写経」という看板が目に入りました。「写経」とは「仏教の経典」つまり「釈迦の教え」を書き写すことです。通常は、筆と墨を使って書きます。私は一度トライしてみようと思い、看板の書かれた入り口を開けました。
四十五分かかって仕上げた写経です。清々しい気分に。