誰も知らないバス時刻
港で見かけた「沿岸警備隊」の格好良いお姉ちゃん達。警察官はひとりも見なかった。
ペンションを出ると、ちょうどタクシーが着き、宿泊客と思しきカップルが降りてくるところだった。僕は、先ほど荷物を置きに行った時、今クリスティーナは留守で、「パパとママ」、そして掃除のおばさんしかいないことを知っていた。そして、その三人は英語が話せない。
「あの人たちきっと苦労するよ。」
僕はその宿泊客と「パパとママ」の遭遇、その後の会話を想像してククッと笑った。歩き始めて少し行くと、クリスティーナの車とすれ違った。僕は彼女に向かって叫んだ。
「お客さんだよ。急いで急いで。」
ミコノスタウンに着き、バス乗り場にいると、一時五分前にバスが来た。行き先も何も書いていない。隣にいたおばさんに、
「アノ・メーラ?」
と聞くと、首を縦に振ったので乗り込む。
先に乗った妻が運転手に、「ツー」と言っているが今ひとつ通じていない。「ディオ」(ギリシア語で「二」)と言うと通じた。先ほど行き先を尋ねたおばさんが、「切符を二枚くださいは」は「ディオ・イシティリア・パラカロー」と言うのだと教えてくれる。こう言う、タイムリーなアドバイスは言葉を覚える上で非常に有り難い。
僕のギリシア語の先生は、三軒隣のタヴェルナのご主人。「お勘定お願いします」、「とても美味しかった」などの表現、またワインの種類、基本的な料理の名前など、レストランでの必須アイテムを、根気良く教えてくれる。僕がそれを使うと、
「よくやった。」
と親指を立てて褒めてくれる。基本的にどの国の人も(英国人とフランス人を除いて)、その国の言葉を話そうと努力している外国人に対しては、「協力を惜しみません」ということらしい。
バスでは、当然お客さんが乗り降りするのだが、道端にバス停らしき物は見当たらない。別に「降ろして」と運転手に言っているようにも見えないのだが、バスは停まり、人々は降りていく。不思議なシステムだ。
アノ・メーラで降りたとき、最初に気になったのは、帰りのバスの時間だった。このミコノス島では、一日にそう何本もバスはないから。一緒に降りた観光客の数人に、
「帰りのバス時間知ってる?」
と英語で聞くが、誰も知らないという。一人が、キオスクの中に入って店員に尋ねている。それから出てきて言った。
「知らないって。」
地元の人は車を持っているだろうし、時間が黒板に書いてあるくらいだから、ちょいちょい変わるのだろう。村人が知らなくても当然か。ともかく、誰も帰りの算段が立たないままに、僕達はアノ・メーラ村の「観光」を始めた。
海辺に立つポストに絵葉書を投函する。ポストはドイツと同じく黄色。